聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−

「みことばはたまもの、他の人びとはたまもの」

ゲッセマネの祈り

 灰の水曜日をもって四旬節を迎えました。「四旬節は新たな始まりであり、復活という確かな行き先、すなわち死に対するキリストの勝利に向かう道です」と教皇はわたしたちに呼びかけています。

 教皇フランシスコの四旬節メッセージのテーマは、「みことばはたまもの、他の人びとはたまもの」です。この季節に熱意をもってみことばに耳を傾けるよう、金持ちとラザロのたとえ話(ルカ16.19〜31 参照)を解説しながら、わたしたちの心の扉を他の人びとに向けて開くよう招いています。

 「身近な人であれ、見知らぬ貧しい人であれ、一人ひとりの人間はたまものだからです。四旬節は、出会う人びとのうちにキリストの顔を見いだすのにふさわしいときです」。

 ご存じのように、このたとえ話に登場する「ラザロ」という貧しい人は、金持ちの門前に横たわり、その食卓から落ちるもので腹を満たしたいものだと思っていました。金持ちは、いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていたのです(19節)。「金銭への執着は、一種の盲目状態をもたらします。飢えて傷つき、はずかしめられて横たわっている貧しい人は、金持ちの目には入りません」。

 教皇フランシスコは貧しいラザロに心を閉ざした金持ちの真の問題は何かを指摘します。それは、「みことばに耳を傾けないこと」です。「その結果、彼は神を愛さなくなり、隣人を軽蔑するようになりました」と言われます。みことばは人びとの心を回心させ、再び神に立ち返らせることのできる、生き生きとした力です。

 わたしたちもこの四旬節に、みことばというたまものを再び見いだし、隣人の中に生きておられるキリストと新たに出会う、いつくしみの道具になれますように。