聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−

第41回「世界広報の日」教皇メッセージ
   子どもとメディア−教育における課題 2

解説:聖パウロ女子修道会会員 長谷川 昌子

 皆様とともに、今年の広報の日のメッセージを読み深めるため、3回に渡ってお届けする、“子どもとメディア−教育における課題”について2回目です。

※ 緑色の太文字は、教皇メッセージ

2.子どもとメディアと教育における関係は、メディアを利用した子どもの教育と、しかるべきメディア対応能力を子どもに授ける教育という二つの観点からとらえることができます。

パソコン

 子どもとメディアと教育における関係は、以下の2つの観点からとることができます。
1.メディアを利用した子どもの教育
2.メディア対応能力を子どもに授ける教育
 この2つとも、以前わたしたちが勉強した「メディア・リテラシー」の中で大切なこととして触れたことでしたね。

 1の「メディアを利用した子どもの教育」ということについては、例えば、へんぴな所で、子どもが雪のために冬は学校に通えないというような所で、テレビやパソコンを使って勉強する、あるいは、病気で長期入院や療養の子どもたちのために、クラスの友だちと同じ勉強ができるように、パソコンを使った、ビデオを使った教育をすることなどについてお話しいたしました。

 2のメディア対応能力を子どもに授ける教育では、中学生や高校生では、実際にテレビ番組を企画し、作ることを通して、テレビカメラは、実際の目で見るのとは違うということや、カットとカットを繋ぐことによって、まるで、そのことがなされているかのように見せるのだ、とか言うことを学んでいきます。

 メディアを利用した子どもの教育では、現状はどうなっているかについて、少しお話してみましょう。

 小学校で最先端のものは、「電子情報ボード」というものがあります。これは最先端技術ですから、現状ではどこの学校でも備えられているものではありません。しかし、これは、ペンで字や絵、図が描け、プロジェクターも使えるし、パソコンの画像も映し出せるものです。視覚的で、子どもの好奇心を呼び起こせるという利点があり、先生の側からしても、パソコンで授業の準備ができ、それがすべて利用できるということも喜ばれているようです。さらに、授業内容を全部保存でき、次の同じテーマの授業の参考に使うこともできますし、修正もできます。

 現在、日本で公立校での導入が約6900台ということですが、イギリスでは小学校全体の78%、中高では85%が授業に活発に利用しているそうです。

 日本でも、ITの授業に力を入れている学校は少なくありません。公立の学校でも、小学校から1人1台の割でパソコンがある学校も多いのです。
 積極的にパソコンを利用する授業をしている学校では、「大人になって必ず使うものなので、さける必要はない。発達段階に応じたコンテンツ(情報内容)を見極めていけばよい」と考えていらっしゃるようです。

 さらに、メディア対応能力を子どもたちに養わせる教育が以前より必要になってきました。これは、メールの発達、利用によって、重要になってきたためです。

 メールでは、皆様よくご存じのように、自分の本名ではなく、ハンドルネームと言われているニックネームを使って、メールを出します。

 「違う自分になりすます」子どもは非常に多く、男の子が女の子になりすましたり、その逆だったり、大人になりすましたりすることもあります。
今、日本の社会では大学生の「ひきこもり」が多く問題だと指摘する人が多いのですが、その原因の1つとしてコミュニケーション能力の未発達ということが挙げられています。
メールでコミュニケーションするということと、実際に面と向かって1対1とか、1対多とかでコミュニケーションすることとは違っています。相手の反応を見ながらコミュニケーションするということは、文字だけのコミュニケーションよりも何倍も豊かです。しかし、メールだけでコミュニケーションしていると、実際の場でのコミュニケーション能力が発達しないのです。

 そのため、このようなことがおこっているのです。
あこがれの大学に入学したのはいいのですが、大学でのクラブ活動や同好会への入会勧誘の喧噪で、それまで学校では授業を受けるだけ、友だちづきあいはメールのやりとりですませていたのが、面と向き合ってコミュニケーションをしなければならないという状況に対処できなくなり、ひきこもるようになるのです。

 これは、大学生だけの問題ではなく、中学生、高校生のメディアとコミュニケーションの問題でもあります。

 ここで見えてくるのが、ある種の相互作用です。つまりメディアの側に業界としての社会的責任があると同時に、読者や視聴者、聴取者の側も積極的かつ批判的にメディアにかかわる必要があるということです。そして、この関係が成立する枠組みの中で初めて、メディアを適切に利用した教育指導が、子どもの文化的、道徳的、霊的成長にとって不可欠なものになるのです。

 ここから、メディア業界と受け手の両方に責任があるということがはっきりしてきます。 メディア業界が社会的責任を守り、受け手である読者、視聴者、聴取者が積極的かつ批判的にメディアに接する必要があります。

 両者がこのようにしたとき、はじめて、メディアを使用した適切な教育ができるようになり、そうしたとき、子どもたちが文化的、道徳的、霊的成長の有力なツールとなるということを言っています。

 これは理想的な姿で、なかなかこのようになっていないのが現実です。 メディア業界の社会的責任と言うとき、すぐに頭に浮かんでくる事件は、関西テレビの「あるある大辞典」だろうと思います。

 「納豆を食べるとやせる」ということが事実に反することで、それを調査していくにしたがって、いろいろな問題が出てきた、という事件でした。結果的にはこの番組は打ち切られる、ということで終わってしまいました。本当は、もっともっと、テレビ番組制作の在り方とか、倫理問題など話し合われなければならない問題がたくさんあったはずなのですが……。

 今年の1月7日、「食べてヤセる!!! 食材Xの新事実」。番組が納豆を特集しました。番組で朝晩1パック食べればやせるということを放映したその日、多くの人々が納豆を買い、スーパーの納豆売り場は空っぽになったという話が残っているほどです。  テレビの制作ディレクターたちの間では、「テーマに困ったらダイエット」というのは常識になっている、と聞いています。「ダイエット」というテーマだと、視聴率が安定して取れるのだそうです。

  「ガンをふせぐ」「やせる」「若返る」というテーマのがいいのだそうです。 今回の「納豆」の番組は、関西テレビから制作会社「日本テレワーク」に企画からすべてを含めてまかされ、それが、今回は下請けの「アジト」という制作プロダクションに回されたもので、制作期間は2ヶ月だったそうです。

 「ねつ造はあってはならないことですが、テレビ局や元請けからのプレッシャーで追いつめられたとき、絶対ねつ造しないと言い切れる人は、この世界にどれだけいるでしょうか」とインタビューされたディレクターの1人が言っていたのが印象的でした。

 それでは、この社会の共通善をどのような方法で保護、促進するべきでしょうか。利用するメディアの内容の良し悪しを判断できるように子どもを教育するのは、親、教会、学校の責任です。

 メディアを批判的に見る目を養わなければならないと、先ほど申しましたが、批判的に見る目を養うとき、メディアの内容の良し悪しを判断できるのです。

 そのように子どもを教育するのは、親、教会、学校の責任です。まず、親、そして、教会、学校の順に書いてあることも注意してください。

 メディアに対する教育について、このメッセージは親とか家庭、教会、学校の責任について指摘しているのですが、他の国の状況についてはわからないのですが、少なくとも日本において、残念なことに、教会がメディア教育をしているということはあまり聞いたことがありません。ですから、教会という言葉がでても、日本の教会としてとかではなく、ある司祭がなさっていることだったり、それを使命としている女子パウロ会だったりするわけです。

 ですから、以後、教皇様が「教会」とか「小教区」とかおっしゃっている所があるのですが、大変残念なことですが、それに触れることができません。

 その中で親の役割がまず重要です。親には、つねに節度ある賢明なメディア利用ができるよう子どもの良心を鍛える権利と義務があります。子どもが自ら健全で客観的な判断を下し、目にする番組・商品の取捨選択を適切に行えるように育てるのです(教皇ヨハネ・パウロ二世使徒的書簡『家庭−愛といのちのきずな』76)。ただしそこには、親に対する学校や小教区教会からの励ましと援助が必要です。それによってこの困難でもやりがいのある子育ての一端が、家庭を包むより大きな共同体からつねに支援を受けられるようにすべきです。

 まず、親の役割が取り上げられています。この後に書かれていますが、親の模範が非常に大切です。親が節度をもってメディアに接しているかどうか、親がどういう姿勢をメディアに対してもっているかということを子どもたちはじっと見ています。子どもが何かを話しかけても、親がテレビ画面に釘付けだったりすると、子どもは、テレビを見ながら人の話を聞いてもいいんだと教育されてしまうのです。

 しかし、そんなに単純なことだけではなく、家庭がその子どもにとって居心地が良い家庭なのか、親子関係がよいのかどうかによって、インターネットや携帯などまた、他のメディアから受ける影響力が異なってくるのです。

 早い時期からネットを始めた子どもたちの間の影響力を調査したものを見てみると、家族、親子関係の在り方によって、影響力が異なっていることがわかります。例えば、家族がしっかりしていれば、またよい親子関係があれば、ネットからそれほど悪い影響を受けません。また、何かあったとしても、親や家族に相談し、問題を解決しています。

 幼児期からのメール交換、掲示板への投稿、そしてチャットの利用が多ければ多いほど、攻撃性が高まると言われています。それが、家族のかかわり1つで、その傾向を助長するか、抑制するのです。

 実際、子どもたちは、インターネットを見ているうちに、自殺サイトなどに行き当たって、「自殺サイトはいやだ。見たくない」と言っています。また、アダルト系のメールを見て、「ショックを受けた」と感じている子どももいるのです。

 パソコンや携帯を持っている小学生の10人に1人は、見知らぬ人とチャットをしているのです。それにもかかわらず、ことインターネットや他のメディアとのかかわりについて関心をもってかかわっている大人は、非常に少ないのが現状です。

我が子のインターネット利用に制限を設けている小学生の保護者:
内容の限定 30.7%
同室・同伴での利用 25.9%
時間の限定 23.4%

 しかし、小学生はまだいい方で、中学生、高校生になると親はわが子のインターネット生活に無関心か、その問題には触れられないでいるか、とにかく放任状態というのが現状です。

 子どもが自由にインターネットを利用する危険性を、子どもに一番身近にいる親がきちんと把握することが必要で、こうすることによって、子どもを犯罪から守ることができるのです。

 メール文化の悪影響をさけるために必要なことは、親や兄弟が、メールと同時に、実際の友人関係を築くように、気配りをする必要があります。 また、家庭での役割を子どもに与え、自分が家族のなくてはならない一員であることを意識させておくことも、非常に重要なことです。家庭での役割と言っても、例えば、食後のお皿洗いをまかせるとか、お風呂の準備を分担するとかで十分なのです。 さらに、両親が子どもに注意をする、叱ることは、愛しているからなのだ、ということを小さいときから教えておくことが必要です。この上に、いろいろなことが伝わっていくのです。

 メディア教育は好ましい方向に進めなければなりません。美的にも道徳的にもすぐれたものに日頃から触れている子どもは、それだけ鑑賞力や思慮深さ、洞察力を伸ばすものです。その面で、親の模範の根本的な意義や、若いうちから古典児童文学や美術、高尚な音楽に触れさせることのよさをきちんと認識することが大切です。大衆文学は今後も文化の一部であり続けるでしょうが、そのやみくもに人の耳目を引こうとする誘惑を学びの場で無批判に受け入れてはなりません。聖性の鑑ともいうべき美が若い心と知性に霊感と生命力を与える一方で、醜悪なものや下品なものは、生活態度や品行にとって有害です。

 メディア教育について触れています。これは、別の表現で申しますと「メディア・リテラシー」のことです。

 子どもたちは、あふれる情報の中から必要なものを選び、活用できなければなりません。さらに、異なる文化を理解し、豊かに表現したり、発信したりできるようにならなければなりません。また、子どもたちはITを含むメディアを問題解決のための道具として使いこなす必要があります。

 各メディアの特性に応じて、きちんと使い分け、自分自身を守ることができる距離の取り方も重要な問題です。

 現在、このようにインターネット、メールが盛んになったことから、広い範囲の「メディア・リテラシー」・メディア教育ではなく、インターネットやメールにしぼった教育である「ネチケット・ガイドライン」ができ、その推進運動をなさっている方もおられます。

 教育一般と同様に、メディア教育も自由の行使のしかたを教える必要があります。これは大変な困難を伴う作業です。自由というと、享楽や新しい体験を執拗に追いかけることを指して使われるきらいがあります。しかしそれでは解放を味わうどころか、有罪の判決を受けるのも同然です。真の自由であるならば、飽くなき新奇性追求というとらわれに、人を、とくに子どもを追い込むはずがありません。真理に照らせば、まことの自由とは、人間を無条件に肯定する神のまなざしへの、ひとつの確かな応答として体験されるものであり、善・真・美なるものを気まぐれからではなく慎重な考慮の上で選び取るようわたしたちを促すものです。そしてその自由の守護者たる親の役目は、子どもの裁量を少しずつ増やしてやりながら、子どもたちを人生の深い喜びへと導くことです(教皇ベネディクト十六世『第5回世界家庭大会におけるあいさつ』 ≪2006年7月8日、スペイン・バレンシアにて≫参照)。

 メディア教育の面でも「自由」についての教育が必要です。特に、「自由の行使」のしかたを教えるようにと教皇様はおっしゃいます。
先ほども触れましたが、インターネットの世界で「ネチケット」という言葉が使われていますが、ご存じですか?

 「インターネットを利用する人が守るべき倫理的な基準、道徳」のことで、「情報モラル教育」をする上で大切なものです。

 子どもたちがインターネットでよく利用するのは、メールです。中学生の約7割、高校生の約9割が日常的にメールを使っています。

 出会い系サイトに関する犯罪の被害者のほとんどが児童です。国連の子どもの権利委員会は、日本に向けて2回勧告を発していますが、ご存じでしょうか。こういうことは、あまり大きく報道されないので、ご存じない方が多いのではないでしょうか。

 1998年の勧告では、次のように述べています。
 「印刷メディア、電子メディアおよび視聴覚メディアの有害な影響、特に暴力およびポルノグラフィーから子どもを保護する目的で、法的措置も含めたあらゆる措置をとるよう」勧告しています。

 第2回の勧告は、2004年です。
 「児童買春、児童ポルノに係わる行為等の処罰および児童の保護等に関する法律(1999年)の制定および実施を歓迎する」としながらも、子どもたちに蔓延する「援助交際」が危惧されています。