聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−

聖パウロ、その現代性

ドメニコ・スポレティーニ神父 (聖パウロ修道会)

 教会の歴史の中には、あまり信徒になじみのない聖人がいるが、その中に多くの偉大な聖人がいる。聖パウロがその1人ではないだろうか? 彼はまことに優れた使徒である。ヨーロッパの多くの言語で、定冠詞付きの「使徒」ということばは、「聖パウロ」を指す。つまり使徒の中の使徒なのである。

 信徒にはあまりなじみのない聖人と言ったが、教会の歴史の流れを見ると、16世紀から、聖パウロにささげられた修道会、聖パウロを保護者と仰ぐ修道会がかなりある。これは、教会の意識の中でパウロが占める場を語っているのではないだろうか。(16、17、18世紀の状況を一覧表にして紹介してみよう。)

年代 創立者、修道会とその目的
1502-1541 この時代に生きた聖アントニオ・M・ザカリアが、福音宣教と教会の刷新を目指し、イタリアで聖パウロ修道司祭会を創立する。
1696、1699 フランスのシャルトルで、学校・病院事業を目指す2つの聖パウロ修道女会が創立されるが、フランス革命の露と消える。
1852 フランスで、若い子女の教育を目指す聖パウロ貴婦人会が創立。
1852 「わたしたちはキリストにおいて光である」(エフェソ 5.8)に霊感を受け、聖パウロの視覚障害者会(会員には目の見えない人も、見える人もいた)が創立される。
1795-1850にイタリアで聖ヴィンチェンツォ・パッロッティが兵士のキリスト教教育に携わる聖パウロ協議会の指導司祭をしていたが、使徒の普遍性に霊感を受け、カトリック使徒職会を発足させる。
1896 ドイツに聖パウロのシスターたちの会が創立され、病者・貧者のために献身している。

(上記の諸会の名称はすべて仮訳である。)

「聖パウロがこの時代に生きていたら ジャーナリストになっていただろう。」

聖パウロ ところが、聖パウロの福音宣教の特徴に着目して彼が見直されてくるのは、19世紀半ばまで待たなければならない。この動きに決定的な一押しを与えたのは、なんといっても、ウィルヘム・ケットラー司教(ドイツ・マゴンザの司教)であった。この司教はカトリックの新聞を創設した人で、労働問題のパイオニア的存在だった。

 「聖パウロがこの時代に生きていたら、ジャーナリストになっていただろう」というこの司教のことばは、カトリック出版界で1つのシンボル、また霊感の泉となった。

 このときから、ジャーナリスト、活動団体、さらには修道会の創立者までが、時代の手段と方法を使って福音のメーッセージを伝達するモデルとして聖パウロを眺めることになる。

 1858年にアメリカ合衆国でアイザック・トマス・ヘッカー神父(1819〜1888年)が、聖パウロ宣教司祭会(仮訳)を始め、福音宣教の手段の中で、出版を中心に据えた活動を展開している。1873年にはフリブルグ(スイス)で教会参事会員ヨセフ・ショルダレトによって始められた聖パウロ事業団(仮訳)には、聖パウロだったらキリストのメッセージを伝達するために、出版・電報など近代的な手段を使ったに違いない、という創立者の理念がよく示されていた。この事業団は聖パウロの精神に照らされた司祭、修道女、信徒を包含するものだった。

 さらに、1875年にも、イタリアで、カトリック出版物の普及を目的とする聖パウロ会(仮訳)が創立され、これは教皇ベネディクト15世の称賛状(1915年)を受けていることからも、かなり長く活発に継続していたものと思われる。1895年に中国で、特に手段を決めてはいないが福音宣教に従事する聖パウロ兄弟会(仮訳)が創立されている。

 20世紀初頭1903年に、レバノンで聖パウロ宣教者会(仮訳)が創立され、出版物を活用して使徒活動を展開している。同じごろ、フランスで、ダルゾン神父の福音告知者会(仮訳)が創立され、二艘の蒸気船を英仏海峡に散在する島々への司牧活動に使い、「聖ペトロ号」と呼ばれる一艘は食料・医薬品を運び、「聖パウロ号」は教理書、福音書、雑誌、小冊子など信仰に役立つ書籍を島民たちに運んでいる。文字を読めない人々のためにはイラストレーションだけの教理書もあったことは特筆に値する。

 この流れの決定的な一歩は次の2つの修道会創立に見られる。福者ヤコブ・アルベリオーネ神父創立の聖パウロ修道会(1914年創立)とヨハネ・ロッシ神父創立の聖パウロ同志会(仮訳。通称フェッラーリ枢機卿事業団。1921年創立)である。後者の特徴は会員のほとんどが信徒である、という点だ。イタリア以外にも諸国に広がり、特にアルゼンチンで大きく発展している。

「パウロ家族」使徒パウロを現代に表現する10の修道会群

 なんといっても、聖パウロを全体的に捕らえたアルベリオーネ神父(1884〜1971年)の功績は決して小さなものではない。まさに偉大な再発見であった。神父の直筆になる著書『神の恵みの豊かさ』に書いてあるが、ローマ人へのパウロの手紙を読んだときの感動というか衝撃は深かった。そこに、神父は宣教者パウロの世界大の使徒像を発見する。使徒の中の使徒、あらゆる使徒活動に霊感を与える使徒! 福音宣教のために「より迅速で効果的な」コミュニケーション手段を取り入れるという点でパウロを見ているだけではない。神父は、自分の弟子たち −司祭、修道士、修道女、信徒− が「今生きる聖パウロ」として現在教会と世界のまっただ中に入り、働くことを求めている。

 この壮大な計画を実現するためには、1つの修道会を創立するだけでは足りないことを、神父は悟る。彼の創立のカリスマの創造性は、ただ一つの修道会創立にとどまるものではなく、「パウロ家族」という修道会群を創立している。「パウロ家族」の10の修道会の1つひとつには、偉大な「使徒」の1つの面を会の特徴として再現することが求められている。福音宣教者パウロ。キリスト教共同体のアニメーターであるパウロ。祈りの人パウロ。キリスト者共同体の創設者・司牧者パウロ。召命を育てる人パウロ。さらには、いくつかの在俗会を通して、社会の中にパウロが生き生きと浸透し、神の計画に沿ってキリストのうちに世界をより人間らしいものに変化させていく役割を担っている。神父に託された創立の青写真は、一見ユートピアに見えたかも知れないが、60カ国に及ぶパウロ家族の広がりに目を向けるとき、まぎれもない神の計画の実現であったことを物語っている。

「きょう、生きるパウロとなれ」

 パウロ家族の誕生から今日に至るまでの教皇は、まずレオ13世であるが、この教皇は数多い回勅の中に頻繁に聖パウロのことばを引用しているのが目立つ。次の聖ピオ10世は司牧目標を聖パウロのことばから取って「いっさいをキリストにおいて回復する」「万物をただ御子によって、御自分と和解させられました」(コロサイ 1.20参照)と、打ち出している。アルベリオーネ神父の晩年の教皇パウロ六世は、パウロの名前を教皇名とし、自分の教皇職がパウロ的方向づけを取ることを宣言している。

 前教皇はヨハネ・パウロ2世は、パウロとヨハネをその名に取っている。
 アルベリオーネ神父が「道・真理・いのち」であるイエスをその霊性の中心としているのは、パウロのキリスト全体観をまとめる表現としてヨハネ福音書からイエスのこの自己定義を取っている。教皇たちに見られるこうした強調をアルベリオーネ神父は見逃すはずがない。彼は、、こうした意味深いしるしには非常に敏感な人だった。彼は前教皇の名の中に、自分がパウロとヨハネから受けているカリスマの特徴との符合を見るであろう。「名はそのものの予告である」(訳注ー名は体を表す)というラテン語のことわざがあるが、現に世界に広がったパウロ家族の中に、パウロのうちに輝いている特徴、コミュニケーション、神学、教理、召命司牧、典礼…などの分野の専門家として活躍している男女の会員たちがいる。

 「きょう、生きるパウロとなれ」という創立者の呼びかけは、パウロ家族の1人ひとりに、キリスト中心の霊性と宣教、世界の隅々にまで到達したいという救いへの熱誠を生きるように促し、励ましてやまない。

 教皇ヨハネ・パウロ2世は、使徒的書簡「新しい千年期の到来」の結びで、「わたしたちは、『未来に向かって全身を傾け、目標を目指してひたすら努め、神がキリスト・イエスにおいて上に招き、与えてくださる賞を得ようとしている』(フィリピ 3.13〜14)という使徒パウロの熱誠に倣わなければなりません」と呼びかけ、励ましておられる。

 全世界を目指し、疲れを知らない福音のコミュニケーター聖パウロを教会の中に知らせ、彼にあやかることをあつく願った、わたしたちの創立者アルベリオーネ神父に、息子・娘としてこの喜びを贈りたい、と願うものである。

イタリアでパウロ家族が発行している
「コオペラトーレ・パオリーノ誌(パウロ家族協力者誌)」
(2004年6月号)掲載の記事を抄訳