聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−

息子・娘が語る  父・アルベリオーネ神父

−パウロ家族のベトレヘム−

聖パウロ

 アルベリオーネ神父が創立した十の修道会・在俗会全体はパウロ家族と呼ばれているが、家族内ではあまりにも有名な話で、今さら誰かに尋ねて語ってもらうことも憚るような話がある。

 聖パウロ修道会がまだ数少ない少年たちの集まり、そして、聖パウロ女子修道会も少数の少女たちの集団だった時期のことだ。アルベリオーネ神父はアルバ司教区神学校での教授・霊的指導者としての多忙な職務に加えて、生まれつつあったこの二つの修道会のすべての世話に明け暮れする毎日だった。

 多くの修道会創立者同様、いや、負けず劣らずアルベリオーネ神父は貧しかった。いちばん無いのは、おそらく時間だったかもしれない。早朝のミサ、少年たちの毎朝の黙想指導説教、加えて平行して始まっていた聖パウロ女子修道会の少女たちの指導、神学校の仕事…早朝から始まる濃密な一日を終えてから、彼は、少年たちに授業をしていた。少年たちも出版の仕事を終えた夕方、つまり夕食前のひとときである。授業だけをしていては、夕食は出来上がらない。アルベリオーネ神父は全員が囲める唯一の大机に少年たちを集めた。それは食卓兼勉強机、何があっても必ず集まる場所である。それ以外に場所は無かったのだから。

 ここまでは、仕事の多さに驚くとしても、目新しいことではないかもしれない。ここからである。授業はジャガイモの皮をむきながらだったり、前もってこねておいたトウモロコシ粉が鍋に入れられ、神父の前に据えられた火にかけられることもある。授業と平行して、鍋の中ではポレンタが出来上がっていく。授業の科目は、その日その日違う。しかし、アルベリオーネ神父の手が料理し続ける…これは毎夕のおきまりである。毎夕ポレンタだったということではないが、当時少年だった初期の会員たちは、たびたびこの懐かしい場面を大事に思い出していた。…いた、と言ったが、初期の会員の多くはすでに他界し、いまはアルベリオーネ神父を囲んで当時の話をしているだろう。

 この体験をした初期の会員たちは、ポレンタという質素な家庭料理にどうやら後輩たちがあずかり知らない特別な何かを感じているようである。