聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−

息子・娘が語る  父・アルベリオーネ神父

シスターアスンタ・バッシ

1929年 FSP最初の着衣式

 『たしかに使徒職をするのはキャベツをつくるのとは違う、ほんとうに違うことだ』

 いつ、どういうふうにか知らないうちに、わたしは使徒職全体の責任者になっていました。アルバで行われた年の黙想会のある日、ドン・アルベリオーネが説教に来てくださいました。説教ののち、聖パウロ修道会まで彼をお送りしました。わたしは彼の説教の余韻のなかにまだいたので、わたしたちの現実を思い合わせて、「どうしたらいいんだろう。あんなすごいことをするなんてわたしたちにできることではない」と心に思っていました。

 聖パウロ修道会に行く道に出るところに広々とした畠があって、その時期は大きなキャベツができていました。

 「わたしは神様に怒っています」とアルベリオーネ神父に話しかけました。彼はふり向いて、「ほう」とその語尾を上げ、そりゃまたどうして、といったふうにわたしをごらんになりました。

 「わたしは怒っています。神様はこういうことをするためにわたしたちをお呼びになりました。でもわたしたちは能力のないものです。世のなかには能力のある人がたくさんいるのに。あの人たちをお呼びになればよかったのです。もっとできる人たちですから。」

 ちょっと沈黙の間をおいて、彼は言われました。「たしかに使徒職をするのはキャベツをつくるのとは違う、ほんとうに違うことだ。」

 聖パウロ修道会の建物に到着したとき、車から降りたアルベリオーネ神父の後ろからわたしはついて建物に入りました。入るとすぐ何段かの階段があって受付につうじるのですが、その半分ぐらいのところまで来ると、彼は止まってふり向かれました。

 「ちょっとお聞き……神様がなぜわたしたちをお呼びになって、あの優秀な人たちをお呼びにならなかったか知っていますか。」

 「そんなこと知りません。まだ話してくださらなかったではありませんか。」
腹立ちまぎれにわたしはぷんぷんして答えました。しかし、彼は大まじめでした。

 「わたしたちをお呼びになったのは……わたしたち以上に無力なものを神様はこの世で見つけることができなかったからです」わたしは声も出ないで立ちつくしました。

 そのときわたしはよくわかりませんでした。しかし、いまは、これが神のなさり方だと感じています。

 聖フランシスコが路上のおばかさんのように通行人のからかいの的になっていました。そしてアッシジ一の富豪の息子フラテ・ベルナルドや名門の出のもうひとりのフラテと町に出て笑いものになっていました。同じことです。りっぱな紳士であるはずの人びとが神のために愚かなものになる。わたしたち愚かなものは他の人びとの先生になる。神秘です。アルバに行くたびに、わたしはこのことにたち戻ります。そうだ、だからほんとうに神のみわざだ。では、今日、わたしたちは何をしなければならないのだろう。このみわざが生きるためにわたしたちがなすべきことは何なのか。教会のなかでこのみわざがあるべき姿で生きるために、何を……。

シスターアスンタ・バッシ:
1915年生まれ。11歳で、イタリア・アルバで聖パウロ女子修道会に入会。
長年、会の使徒職全体の責任者をつとめた。