聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−

わたしたちの母、テクラ・メルロの思い出

聖パウロ女子修道会 シスター脇田 晶子

来日のときのシスターテクラ・メルロ

 今月5日命日を記念するわたしたちの母、初代総長テクラ・メルロの言葉の中でわたしがとても好きな一言はこれです。「いつもいつも喜んでいることはできないかもしれませんが、いつも平和でいることはできますよ。平和は愛と一致の実です。」

「目は心の窓」

 彼女はほんとうにこの愛と一致を生きた人でした。最後の来日は1962年、乳癌の手術からそれほど経っていない時でしたが、その柔和、あたたかさ、明るさ、透き通ったまなざしなど、忘れられません。とくに、そのまなざしは、多くの人に「目は心の窓」という言葉を連想させていました。わたしは彼女に見つめられたとき、単にわたしという人間をとおりこして、わたしの内の内なる神を、愛のまなざしで見ておられるように感じました。

 神は時代の必要に応じて、さまざまな修道会をお建てになります。修道会の創立者は聖霊の道具。創立のカリスマを与えられた人はまったく新しい道に導かれるのですが、その道を聖霊は徐々にしか開いてくださらないので、いわば、手さぐりの歩みの中で、彼らは自分の無力をとことん感じなければなりません。ただ、導いておられるのが神だ、という確信だけが支え……。でも、また、そういう人に働いておられる聖霊を信じ、ついていく人が必ずいるから、修道会が生まれていくのです。世間から嘲笑され、ときにはローマや司教からも理解されず、山ほどの困難があっても。

そなえられた道

 聖パウロ女子修道会の始まりもそのとおりでした。アルベリオーネ神父が現代のメディアを使って福音宣教のために働く男女を組織しようと考えて、テクラ・メルロを呼んだ時、彼女は21歳。ひ弱で教育もそれほど受けていない、北イタリアの小村で数人の少女に仕立てを教えていた女性でした。でも、この時の出会いは、聖なる人同士のあいだにピーンとくるものがあったように思われます。この日から、彼女はこの神の人についてゆこうと決心し、50年の歳月を完全な協力者となったのです。

 時代は、マスメディア(当時は本や新聞ですが)の影響力を全能と信じた人々が思想の宣伝に利用しようと躍起になっていた、社会主義者やファシスト台頭の時代です。どうしてこの時代が提供する文明のメディアを神のために利用しないほうがあるでしょうか。アルベリオーネ神父は技術の進歩が生み出すさまざまなコミュニケーション・メディアを予見し、修道者の身分で完全にこの世界に身を投じる人々を夢見たのでした。

すべてはベツレヘムから始まる

 ベツレヘムのような貧しい暮らしの中で、活字を拾い、印刷機を動かし、製本し、できた本を売り歩く、この信心深い少女の一団は、いつのまにか町の人から「聖パウロの娘たち」と呼ばれるようになり、1915年、それがそのまま修道会の名となりました。パウロのような使徒的熱意と観想の人、それはテクラ・メルロが生涯追い求めて、たしかに到達した理想でした。彼女は生涯の終わりごろ、遺言のように「聖パウロの娘がみな聖人になるように、わたしのいのちをささげます」と書きとめています。

母に祈ろう

 彼女の葬儀の説教中、生涯最大の協力者を失った悲しみの中で、アルベリオーネ神父は、「あなたたちの総長はつぎつぎに替わるだろう。しかし、あなたたちの母は1人だ」と言いました。そのとおりだと患います。

 環境破壊による地球温暖化、テロ戦争の激化、格差社会、失業者の増大、増え続ける自殺など、わたしたちの力不足をいやというほど感じます。けれども、主によってこの修道会を理解し、同じ精神と意志をもって協力してくださるかたがたにも恵まれることを確信しています。テクラ・メルロがその恵みも取り次いでくださいますように。