聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−

パウロとペトロ岐部と187人の殉教者(1)

大目付・井上政重の審問を受けるペトロ岐部神父
大目付・井上政重の審問を受けるペトロ岐部神父

 パウロ年が開催されているこの年に、日本においてペトロ岐部と187人の殉教者が列福されることは、とても意味深いことだと思います。
 それは、パウロと今回列福される殉教者たちがとても似ているからです。
 どちらもキリストへの「愛の証」として殉教したとうことはもちろんですが、それ以外にも、いろいろな共通点があるように思います。

 なかでも特に共通点が多いと思えるのは、ペトロ岐部です。
 パウロは、コリントの信徒への手紙二の中で、自分が受けた苦労を「苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました(11・23-27)」と語っています。

 パウロはそういった迫害を恵みと受け止めて「キリストのために満足(コリ二 12・10)」していました。

 ペトロ岐部も、何度もキリストの名の故に苦難に出会いました。ローマからリスボン、マカオ、マニラと船旅をし、古い小舟で日本に戻ってきた彼は、難船の数ではパウロよりも多いくらいです。しかし、彼もパウロと同じようにその苦難を恵みとして受け止めていました。彼が見つめていたものは、目の前にある苦難ではなく、その先にある「神の栄光」だったのです。

 パウロはダマスコ途上でキリストに出会いアナニアから洗礼を受けた後、すぐにはキリストの教会の人たちから受け入れられませんでした。彼は、砂漠に退き、祈りの時を持つこととなります。

 パウロのこの体験と同じように、ペトロ岐部も司祭を目指しイエズス会への入会を希望しますが受け入れられず、マカオ、そして陸路をローマへと旅することとなりました。この旅は、彼にとって試練と祈りの時であったに違いありません。
 どんな苦難も人びとの批判やそしりも、彼らをキリストへの愛から引き離すことはできませんでした。

 パウロは言います。「兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。(フィリピ 3・13-14)」と。

 この言葉どおりパウロもペトロ岐部も、神への愛に駆り立てられて、ただひたすらに神に向かって、神の栄光のために自分に与えられた使命を走り続けたと言えるでしょう。