聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−

ご降誕の馬小屋を訪れて祈る

アルベリオーネ神父 1933.12.24

聖母子

 この時期に、だれもみな、ご降誕の馬小屋を訪問しますが、何よりも大事なのは、イエスを心に迎え入れることです。神秘的な受肉とはこのことなのです!
 馬小屋を観想しながら、目で見ていることを思いめぐらしましょう。あなたがたが準備した馬小屋には、子羊が何匹いるでしょう、そして羊飼いも。小屋の中には聖母、聖ヨセフ、そして赤ちゃんのイエス様。このすべては幼子イエスのご誕生という偉大な出来事をわたしたちに思い起こさせるためです。わたしたちが思いめぐらし、黙想するために。

 羊飼いは何をわたしたちに教えてくれるでしょうか? 羊飼いは、通常、素朴で、まだ善良な生活習慣をもっている人たちです。彼らの存在がわたしたちに何を教えてくれるのでしょうか。イエスがご自分の近くに望まれるのは、正しく、善良で、単純で、質朴な生き方と心の人々なのだ・・・ということです。イエスは貧しい人々、単純な人々、謙虚な人々を望んでおられるのです。ですから、わたしたちも、イエスのもとに行きたいなら、イエスに受け入れていただきたいなら、心の謙虚さ、単純さ、無垢がなければなりません。

 「あなたがたは幼子のようにならなければ、天の国に入ることはできない」(マルコ 10.14 参照)という師イエスのお言葉をじっくりと黙想する必要があります。つまり、天の国に入るには、幼子のようになる、というこの条件が必要なのです。わがままな幼子ではなく、幼子イエスのような幼子になること。彼は純真、無垢でした。
 聖なるご降誕の神秘を観想しながら、くみとる教えの第一はこれなのです。羊飼いたちのように純朴、謙虚にならなければなりません。彼らには、思い上がり、高慢といったものはなく、名誉や評判などを追うこともなく、つつましく、単純な心の持ち主でした。

 馬小屋の場面でわたしたちが観想することができるのは、聖ヨセフの姿です。職業から見れば、彼は素朴な勤労者でした。しかし、その聖性を考えれば、偉大な勤労者です。聖母マリアに次ぐ偉大な聖人です。つまり、主はご自分の周囲に聖人を望まれるということです。聖ヨセフは聖母がベトレヘムまで旅行なさるのに同伴し、宿を探し、聖母といっしょにいて、馬小屋でお生まれになった救い主を最初に見る恵みを得たのでした。

 人を見るときに、上等なものを着ているかそうでないか、格好がいいか、などを考えてはなりません。その内面、その心に注目する必要があります。ごく貧しい服装の下に、つつましい外見の下に、深い謙遜のうちに生き、神が大事になさる美しい魂があるかもしれません。聖ヨセフはわたしたちに、たいして価値のない外的な宝ではなく、魂の宝という最もとうといものを追及することを教えてくれます。

 イエスの近くに聖なるおとめマリアがおられます。彼女はイエスが地上で受けられた最初の礼拝をささげた方で、わたしたちに主を愛すること、ふさわしい礼拝をささげることを教えてくださいます。彼女はイエスの母上であり、わたしたちの母です。よく記憶しておきたいのは、イエスのもとに行くには聖母への信心が必要だ、ということです。

 聖母へのあつい信心のある人は自分の欠点から解放されるのも早く、聖人になるのも早いです。聖体拝領のよい準備も容易にできます。要するに、聖母といっしょにすることは何でも、よりよくできるのです。聖母へのあつい信心のある人は、死に臨んで、この偉大な一歩にあたっても、よい心構えをもてるという大きな幸運に恵まれるでしょう。聖母はその魂を清め、徳と功徳で飾ってくださいます。
 聖母といっしょであれば、大きな進歩を遂げます。しかし、聖母への信心が本物の信心であることが必要です。単なる感傷といったものではなく。

 これ以上に何も言う必要はないと思います。わたしとしては、馬小屋を前にして、思いめぐらすべきことは、ただひとつ・・・愛、愛、愛。