聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−

パウロ年とペトロ岐部と187人の殉教者(2)

大目付・井上政重の審問を受けるペトロ岐部
大目付・井上政重の審問を受けるペトロ岐部

 長崎教区の古巣神父は、パウロとペトロ岐部の共通点の一つとして、次のことをあげておられます。
 パウロの回心と呼ばれる、ダマスコ途上での復活のキリストとの出会いと、ペトロ岐部がイグナチオ・ロヨラとフランシスコ・ザビエルの列福式にあずかったことは、同じ意味を持つような生涯を揺るがす大きな出来事であったということです。。

 パウロはこのダマスコ途上での出来事によって、キリストの教会を迫害するものから、キリストを信じ、その命を差し出すまでの者へと変えられました。そして、ペトロ岐部は、2人の聖人の列福式にあずかり、迫害のただ中にあった日本へ帰り、「同胞の救いのために、最後まで前進したい」と決意しました。

 このことを黙想している時に気づかされたことは、2人とも生きたその人とは出会っていないということです。パウロは12使徒とは異なり、キリストと生活を共にしたわけではありません。彼が出会ったのは、死んで復活したキリストです。また、ペトロ岐部も日本でフランシスコ・ザビエルと出会い、教えを受けたわけではありません。

 しかし、彼らのその後の人生を大きく変えたのは、死を乗り越えたキリストの愛と、聖人の思いでした。この出会いの恵みは、2人に今まで知ることのなかった希望と力を与え、彼らのその後の人生の支えともなっていったのではないでしょうか。

 もう一つ、この2人の共通点をあげるとすれば、牧者としての2人の姿でしょう。苦難する信徒を助けるためにパウロはローマに行くことを、そしてペトロ岐部は日本に帰ることを望みました。彼らは、自らの命をかけて苦悩する人びとのために働こうとしたのです。

 そして、2人は実際に、その命をキリストへの愛と人びとの救いのためにささげました。
 ペトロ岐部と187殉教者列福記念に作られた三つのバンナ(垂れ幕)の言葉の一つは「命をかけて『いのち』を生きる」ですが、彼らは牧者としてこの言葉を生ききったといえます。