聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−

パウロ年とペトロ岐部と187人の殉教者(3)

カトリック島原教会 中浦ジュリアン像
カトリック島原教会 中浦ジュリアン像

 弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。(一コリント 9.22-23)

 パウロのコリントの信徒への手紙一の言葉です。188人の殉教者の中にこの言葉を文字どおり生きた人がいます。「金鍔次平」と呼ばれたトマス次兵衛神父です。イエズス会の同宿として働いていた彼は、日本の信徒たちが秘跡を必要としていることを深く感じ、マニラに渡って聖アウグスチノ会に入会し、司祭となって日本に戻り、迫害下にある日本の信徒たちを励ましました。また、捕らわれて牢に入れられた宣教師や信徒を訪ねたかと思うと、外海、江戸に現れるなど至る所に出没して宣教を続けました。そして、少しでも長く生きて信徒たちを助けようとしたのでした。
 このトマス次兵衛神父の姿は、キリストの教えを必要とする人たちのために、宣教の旅を続けたパウロに似ています。

 また、パウロは、宣教の旅によって誕生した教会の信徒たちに多くの手紙を書き送り、彼らを導き励ましました。

 188人の殉教者の一人、天正遣欧少年使節としてローマに渡った中浦ジュリアンは、1590年7月に長崎に戻った際にヨーロッパから印刷機、絵画、その他の器具などを習得し、持ち帰りました。この印刷機で「どちりなきりしたん」などの教理の本や祈りの本が印刷され、日本において書き物による宣教が行われました。信徒を励ましながら衰弱した身体で最後まで島原半島を歩き続けた中浦ジュリアンも、この書物で信徒たちを教え導いたのではないでしょうか。

 彼は刑場に入る時、「わたしはローマに行った中浦ジュリアン神父である」と叫んだと言われます。彼は主の名の故に、捕らえられ、処刑されることとなった自らの生涯を誇らしく思ったのではないでしょうか。そして、他の殉教者たちも同じだたことでしょう。
 主のみ顔だけを仰ぎ見ながら、「永遠のいのち」のためにその命をささげたのです。パウロと同じように。