聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−

聖パウロとわたしたち(二)

イエズス会 粟本 昭夫神父

ひたすら走り続ける

聖パウロ

 このときから盲人となったサウロは、人々の介護を受けながら一人で祈り続け、数日後に洗礼を受け、そのとき目が開かれました。その後のパウロは、イエスから受けた命令、「行け、遠く異邦人のもとに送る」を、何年も黙想し続けました。キリストへの忠誠は「キリストの宣教」にあると確信した彼は、ありとあらゆる苦難の待ち受けている、神の備えられた人生をひた走りに走り続け、ついにローマで殉教します。

 聖パウロの生きざまから学べる第一のものは、やはり彼の「熱意」でしょう。燃え上がる炎のような人、ひたすら、ひたすらキリストへの愛のために、自分の人生を焼き尽くした人、狂気のように宣教した人、死をもっても妨害しようとする反対者には、喜んでいのちを投げ出せる人、キリストを知るためには、この世のあらゆる富も名誉も知識もすべて塵、あくたのごとく思えた人でした。
 キリストの愛を、福音を、述べ伝えずにはいられない、自分をそのようにさせるのは内なるキリストへの愛であり、キリストの愛が自分をこのように駆り立てていると見ています。

 わたしは、聖パウロを想像するとき、いつも頭から湯気を立てている熱血漢の姿が浮かびます。反対者の暴行にあい、もう死んだと思われて溝に捨て去られていても、また起き上がって次の町へ行って宣教していたなど、留まることを知らない熱意と行動の人でした。聖パウロの不屈の宣教精神と行動によって、初代教会はすばらしい発展を遂げました。

 日本の今の状態は、聖パウロの時代に非常によく似ています。わたしたちは、聖パウロのような劇的な一撃こそ受けませんでしたが、洗礼を受けたことは、聖パウロのあの光線の一撃よりも、もっと重大な出来事です。古い利己的な人間がキリストのいのちを受けて、まったく新しい人になったはずです。キリスト者になったことは、キリストの宣教者、福音の宣教者になったことです。わたしたちはキリストへの信仰、希望、愛に燃え上がっているはずです。