聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−

「パウロにとって十字架とは・・・
        〜 一コリント 1.18-31より 〜」 2

聖パウロ女子修道会 Sr. 井上真紀子

十字架上のイエス
photo by:Shoko Shirai

 今回は、コリントの信徒への手紙一1章18-31節のキーワード、「十字架」について深めたいと思います。

十字架の起源

 十字架は、古代地中海世界に住むアッシリア人やヘブライ人たちが処刑方法として用いたのがはじまりだと言われています。罪人たちの死骸をそこに結びつけ、彼らの罪と、正義の必要性を民衆に示すためでした。その後ギリシアに伝わり、アレキサンダー大王が死刑手段として採用しました。

 ローマでは紀元前3〜1世紀ごろ、十字架刑を盛んに行うようになります。十字架刑はあまりにも残酷で、言語を絶する苦痛、屈辱を与える極刑でした。ローマでは特に下層民、奴隷、暴力犯など反乱を起こした属州民などが対象とされ、政治的軍事的な刑罰で、奴隷を処刑するため、またパレスチナにおいては、国家の秩序を乱す反社会的な反乱者の処刑手段として、ローマ法に従って用いられました。十字架刑はみせしめとして用いられ、犯罪人を裸にし、さらしものにして、究極の辱めを与えるものでした。

 このような背景のなか、イエスも「政治的反乱者」として処刑されました。

ギリシア人にとっての十字架

 大都市に住むギリシア人の大部分は、十字架刑は恐ろしく残忍なものであるが、「社会の安全と秩序のために必要な手段である」と考えていました。一方、彼らのもつ神のイメージは、「善、美、永遠、不変」であり、神は絶対的な存在で何も感じないもの、人間に関する事柄に無関心で、人間世界から遠く離れた存在であると考えられていました。ですから、「イエスが十字架上で苦しんだ」という「苦しむ神の姿」は彼らにとって矛盾であり、神に対する侮辱であると理解しました。また、キリストが人間となった「受肉」の出来事は、彼らにとって、「永遠である神が善から悪へ、美しいものから醜いものへ、幸から不幸へと変化すること」であり、彼らには受け入れられないことでした。地上の存在を神とあがめるべきではなく、人間となり、しかも犯罪人として最も屈辱的な形で死んだイエスが「救い主である」というパウロの主張は、ギリシア人にとって正気の沙汰ではなかったのです。

ユダヤ人にとって

 申命記21章23b節に、「木にかけられた死体は、神に呪われたもの」と書かれていることから、ユダヤ人にとって、屈辱であり、忌まわしいものとされていました。ですから、ユダヤ人にとっては「つまずき」だったのです。それには2つの理由があります。

@申命記21章23節から、十字架の事実はイエスが神の子ではないことを決定的に証明するものでした。イザヤ書50から53章には、「苦しむメシア」の姿が描かれていますが、ユダヤ人は、この預言をイエスのうちにあてはめることができなかったのです。

A彼らは「大いなる力を持って、諸外国から民を救うメシア」を期待し、「しるし」を求めました。しかしイエスは柔和な仕える者であり、弱々しく、十字架の上で生涯を閉じます。イエスは、彼らが求めたメシア像とはほど遠いものだったのです。

 このように「人間と共に苦しむ神」という概念は、ギリシア人、ユダヤ人には全く想像できないものでした。しかし、彼らの抱いていたような神のイメージや、人間的思惑から解放されて、十字架によって救いを与えようとされた神の本当の姿を受け入れるなら、十字架につけられたキリストは、死者の中からよみがえった「神の力」、世の知恵を愚かなものとする「神の知恵」となるのです。

 ファリサイ派だったパウロは、ユダヤ人に対して、神の救いの計画の中で律法とは何だったのか、またギリシア人に対しては、ヘレニズム世界で育った経験を生かして、キリストがすべての人にまことの救いを与えるメシアであることを宣言していきます。

 次回は、コリント共同体が抱えていた問題と日本の社会との関連を見ながら、パウロはわたしたちにどんなメッセージを伝えてくれるかを考えたいと思います。


<参考文献>
・マルティン・ヘンゲル 著、『十字架−その歴史的探求』土岐正策、土岐健治 訳、ヨルダン社、1983年
・朴 憲郁 著、『パウロの生涯と神学』教文館、2003年