聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−

「パウロにとって十字架とは・・・
        〜 一コリント 1.18-31より 〜」 3

聖パウロ女子修道会 Sr. 井上真紀子

聖パウロ

 コリント共同体が抱えていた問題と日本の社会を見ながら、パウロはわたしたちにどんなメッセージを伝えてくれるかを見ていきたいと思います。

コリント共同体が抱えていた問題

 はじめに述べたように、コリントの信徒への手紙一1章18-31節では、「共同体分裂」という問題が書かれています。それは「人の上に立ちたい」という人間の名誉欲が原因でした。自分に洗礼を授けてくれた人、ことばの知恵、能力のある人につき従うことで、他者よりも優位な立場に立とうと、いくつかのグループができ、共同体は分裂しました。パウロは、神であるにもかかわらず、へりくだって十字架にかけられ、神と人々への愛を示したイエスの姿を示し、兄弟愛による一致を図ろうとします。

 ギリシア人、ユダヤ人は、神ではなく、人間的知恵や能力によって救いを得ようとしていました。しかし神は、十字架によって示された愛の愚かさを救いの道として提供します。キリストに倣って自らへりくだり、愛によって他者に仕えることを、パウロはこのテキストを通してコリントの人々に教えています。

 コリントの信徒への手紙一1章26-29節で、パウロは、貧しい人々で構成されていた共同体の現実を思い起こすように招きます。彼らが召されたのは社会的地位、能力などの人間的価値によるのではなく、神の無償の選びであることを想い起こさせ、自分たちの無力さを認め、十字架のキリストのうちに自らのアイデンティティーを位置づけるよう信徒たちに求めました。

 社会の中で、奴隷として、無にすぎない存在のようであった貧しい人々にとって、この神の無償の愛はどんなに大きな慰めだったことでしょう。彼らは信仰によって、「父である神に愛された子」という新しいアイデンティティーを確立したのです。こうして、洗礼によって共同体に加えられた人は、貧しい者、富める者、ギリシア人、ユダヤ人という壁を乗り越え、兄弟であり、愛によって互いに仕えあうことで1つになることができます。

 十字架には人間のおごりを滅ぼし、神ではなく自分自身に頼るというこの世の知恵(罪)を克服する力、罪から人を救うという神の愛(Tコリントント13章参照)があり、そこに神の知恵が啓示されているのです。

日本社会に生きるわたしたちへのメッセージ

 わたしたち、日本の社会にとって、パウロのメッセージは何でしょうか?
 コリントは経済、学問などが栄えた、さまざまな文化が交錯する国際都市であり、そのために問題も多くありました。コリントの人たちのように、「他者よりも優れた者でありたい、人の上に立ちたい」という名誉欲に駆られて争うとき、人々は交わりを失い、孤独になります。この分裂した共同体に、パウロは十字架につけられていのちを与えるほどに人々を愛したキリストを示しました。

 これはまさに、パウロ自身がダマスコでの出来事を通して体験したことでした。律法を守ることで自己を保持していた彼は、復活の主に出会い、十字架にかけられたキリストは「呪われた者」ではなく、「救い主」であることを知りました。パウロにとって十字架は、この神の極みまでの愛の自己啓示だったのです。

 このように人々の救いのために自らを低くする神の姿を前に、人は自分自身の存在が無にすぎないことを自覚します。そして他者をキリストにおける兄弟として、愛をもって迎えさせるのです。そこにはもはや、境遇の違いから来るさまざまな隔ての壁は無く、皆同じ神に愛された兄弟、1つの共同体、家族があるだけです。神の霊の働きによって、信仰をもって十字架を受け入れるとき、十字架は、利己心に駆られて苦しむ人々を一致させるための「神の知恵」、「神の力」となります。

 当時のコリントのように、現代の日本の社会も「共同体の分裂」が言われています。家族をはじめとする血縁・地縁による共同体は崩れ、心安らぐ居場所が見つけられない人がたくさんいます。人々は、外見や学歴、社会的地位を求めるあまり、それらを得られない人々との間には「格差」が生まれ、多くの人が苦しんでいます。また2007年法務省の統計によると、日本に居住する外国人は、200万人を超え、過去最高の登録者数となったそうです。しかし、彼らにとって日本は、人権が守られる住みやすい国ではありません。

 人は誰でも、「他者に自分の存在を認めてもらいたい」、「他者から、ありのままの姿を受け入れられ、愛されたい」という基本的な欲求を持っています。パウロの宣べ伝えた「十字架にかけられたキリスト」は、才能や国籍などさまざまな人間的側面に関係なく、「すべての人が神に愛されていること」を伝えてくれます。この神の招きを受け入れる人は、愛によって他者に奉仕する者となり、こうして人々は兄弟姉妹となって一致へと導かれるのです。

 分裂によって孤独に苦しむ現代の日本の人々に、パウロのメッセージは「人間としての尊厳」、つまり「一人ひとりが大いなるものから愛されて生まれてきた存在」であることを思い起こさせてくれます。「十字架にかけられたキリスト」はあらゆる時代、違いを乗り越え、今も人々を一致させる「神の力」、「神の知恵」なのです。