聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−

同じ一つのからだをつくりあげるために

聖パウロ女子修道会 シスター近藤 ルミ子

協力者と共に

 現在わたしは、通信販売・オンラインショッピングの使徒職で、会員のほかに、数名の外から来てくださっている方々と共に働いています。それぞれの方がメール、電話の応対から、請求書等の作成、注文品の梱包や発送などにいたるまでの様々な行程を分担して、働いてくださっています。このように使徒職を分かち合い、共に果たしていくなかで、わたしが神様から照らしていただいたことについて、少し分かち合わせていただきたいと思います。

 わたしたちの会憲には、「同じ一つのからだをつくりあげるために 気持ちよく姉妹を迎え入れ、姉妹一人ひとりのたまものの違いを尊重すること、私たちのうちに働かれる聖霊の力によって 互いに愛し合うこと」とあります(会憲60条)。

 これは姉妹としての交わり、つまり共同体生活について書かれた章にある一文ですが、わたしはあるとき、この箇所を読んでいて「気持ちよく姉妹を迎え入れる」という言葉が心に残りました。使徒職の多くの時間を共に果たしてくださるこの方々と過ごしている現状を顧みて、この言葉は会員同士の関係だけに当てはまることなのだろうか、という問いかけが自然に浮かんできました。

 また、人を迎え入れるために、わたしに求められている姿勢とはどのようなものだろうか、さらに、この方々とのわたしのかかわりはどうだろうか、事務的な連絡をするだけのような表面的で形式的なものではないだろうか、と振り返るようになりました。

 これらのことについて祈っていたとき、わたしは神様からあるものを手放すように促されていることに気づきました。

 それは、使徒職を通していただいた神様からの数々の<恵み>でした。その恵みとはたとえば、様々なやり取りを通して培われたお客様との信頼関係、同じように築かれた姉妹との絆、働きのすべてに神様の命を伝えていくことのできるパウロ的召命のすばらしさ、などでした。

 わたしはこの恵みを失うことを最も恐れており、取られないように神様に隠していました。なぜなら、その恵みを手放すことは、パウロの娘としてのアイデンティティを失うことのように感じられたからです。それだけでなく、現実的にもわたしが今まで担っていた使徒職を他の人が代わって行うようになることは、場所、占めていたポジション、何らかの人とのかかわりを失うことも意味します。あるときは、自分が顧みられない、重んじられない、人から期待されないという寂しさ、または嫉妬、惨めさも感じることがあるかもしれません。そのような恐れも妨げとなっていました。

 しかし、神様はこの使徒職を分かち合う人びとに、惜しむことなくすべてを分かち合うようにわたしに求めておられる、と感じました。

 この呼びかけによって、わたしは何をなすべきか、本当の望みは何であるか、を心で理解したように思います。わたしが分かち合うのは、単なる形だけの使徒職ではなく、そこに神様が与えてくださっている恵みも含んでいること、そしてわたしがこの使徒職を通して、使徒職を共に行っている方々に最も分かち合いたかったものとは、神様のこの恵みであったことがはっきりと見えてきました。

 聖パウロはコリントの信徒に向かって次のように呼びかけています。「あなたがたはキリストの体であり、また、一人ひとりはその部分です。わたしたちは、みな一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。」同じ使命に向かう者として、神様の命を一つの体のように循環させるために、互いにいただいているものを分かち合う。この神様の望みと一致できたとき、わたしは失うことも喜んで引き受けていく覚悟ができました。なぜなら、それはわたしが手放すことでしか与えられないものなのだ、と分かったからです。このときから、わたしは自分の存在のすべてをかけて、すべてを与えていくことができるようにしていただいたと感じます。

 この体験を振り返りながら、会憲の言葉を読み直したとき、人を「迎え入れる」とは、単に人に親切にしたり、仲よくしたりするということだけではなく、自分の場を失い、与え、明け渡すことでもあることを教えていただいたように思います。

 これらのことは、目に見えるものではありませんが、神様がなさってくださることは、わたしが実現できることよりも確実で、より善いものであることを確信しています。この信頼のうちに、いただいた恵みを共に働いてくださる方々にも、伝えていくことができるように望んでいます。