聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−

聖性〜聖パウロに求める恵み〜

アルべリオーネ神父(1925年)

聖パウロ

 私たちは聖パウロに、私たちの最も必要な恵みを求めなければなりません。それは次の二つです。すなわち、私たちの聖化と、私たちが最も必要とする徳の獲得です。

 聖化は、一般的な恵みであり、全生涯にわたって求めるべきものです。最も必要な徳の獲得は、今この瞬間に必要とするものです。

 私たちの聖化は、人生の主目的としていかに必要なものであるか、それは「必要なことはただ一つ」(ルカ 10.42)と、多くのことに心を煩わせているマルタにイエス・キリストが言われたとおりです。富や名誉、快楽を役立てる人は救われないのでしょうか。(マタイ 16.26 参照)。イエスは更に「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」(マタイ 5.48)と言われます。

 しかし、この「完全性」は一つの行為で成るものではありません。つまり、一つの徳から始まって、それを完全に所有するときまで戦う必要があるものです。努力して、祈りながら、働きながら、良心の糾明と警戒を重ねながら、一つずつ徳を積み上げていくものです。

 聖パウロは、この非常に高い理想を常に自分の前に掲げ持ち、すべてにおいてこの理想に導かれていました。すなわち、自らを救いに向けることも、完徳へと進むことも、聖なる者となることも、最も厳しい犠牲を自分に課すことにおいても、「自分の決められた道を走りとおすことができさえすれば」(使徒言行録 20.24)よかったのです。「兄弟たち、完全な者になりなさい。」(二コリント 13.11)と言っているように、彼はこのことを他の人々にも説いていました。あなたたちも聖人になりなさい、と。

 聖パウロは生涯において、特に「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」(一コリント 13.7)真実の愛を生きようと懸命に努めました。死に至るまで・・・彼は自分の性格を克服し、怒りを抑え、獅子のように強く子羊のように温和な人となったのです。

 「イエスの御母聖マリア、私たちを聖なる者にしてください」という射祷は、福者コットレンゴが入院患者たちに50回繰り返し唱えさせていたものです。これは、私たち皆にとってはなおさら、叫び、懇願、呼吸でなければならないでしょう。聖アロイジオ、聖スタ二スラオ・コストカ、聖ヨハネ・ベルクマンスなど若き聖人たちにとってもそうでした。この理想を生き、この理想ゆえに生きたすべての聖人の祈りでした。

 私たちは聖人にならなければなりません。天国を得ること、それが全てです。他の何が必要だというのですか? 朝も夜も、祈りのたびごとに、聖パウロにこの恵みを願い求めましょう。