聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−

マリアが使徒であることの根拠

アルベリオーネ神父 (1947)

使徒の女王

 マリアに与えられた天的賜物、徳も、恩恵も、特権も、すべては一つの目的のためであった。すなわち、彼女を使徒とするためである。

 マリア以前に、だれも世にイエスを与えた者はない。マリア以上に完全に世にイエスを与えた者はない。だれも、彼女と無関係に、あるいは彼女のようにイエスを与えることはできない。
 それゆえ、使徒の女王に対する信心は、使徒職に従事する者の信心である。

 カルワリオで、その腕に、息絶えられたイエスを抱きとめたとき、マリアは自分の使命を終えたのではない。むしろ、そのときから、彼女の使命は普遍的なものとなった。その日、彼女はただ一人に対する母の役目を終え、無数の人々に対する母の役目を努めはじめる。その日から、マリアはわたしたち皆を自分の心に引き受けたのである。

 聖母マリアは三つの理由で使徒である。

  1. 普遍的で、また他のすべての使徒職を含む使徒職を実践したからである。
    使徒のうちのある者はこの事業を、他の者は他の事業を行う。祈りによる使徒職もあれば、模範や苦しみによる使徒職もある。だが、どんな使徒職でも、マリアが果たさなかったものはない。
    人は、福音の中のある教訓を実行するが、マリアは全体を実行した。彼女は恩恵に満ち満ちた者であり、わたしたちはその充満の溢れを受けるのである。
  2. マリアは、使徒たちを保護し、かばい、使徒職へと人々を呼び寄せる。そして、この聖なるおとめから、熱せられず、光を受けない使徒は一人もないほどに、その恩恵を与えるからである。
  3. マリアは最もすぐれた方法でイエスを世に与えたので、彼女の使徒職は最もすぐれている。だれも、それほどの、あるいはそれ以上の使徒職を果たすことはできない。

 マリアは世にイエスを与え、イエスとともに他のあらゆる善を与えた。
 教会があるのはマリアのおかげである。
 秘跡があるのはマリアのおかげである。
 司祭職があるのも、教皇制度があるのも、マリアのおかげである。
 修道生活があるのもマリアのおかげなら、ゆるしの秘跡や聖体の秘跡があるのもマリアのおかげである。
 わたしたちが、聖体のうちにおられるイエスを訪問することができ、ミサにあずかることができ、心に主をお受けすることができるのは、マリアのおかげである。
 いったいどんな善がマリアによらずに人類に与えられたというのか? すべてがマリアによってわたしたちに与えられることは、神のみ旨であった。

 わたしたちめいめいの救いもマリアから来る。
 マリアは、罪人や囚われている人、国を追われた難民の希望、悩める人々の慰めである。頭からからだに伝わるものがすべて首を通ってゆくように、どの時代にも、すべてはマリアを通して与えられる。頭はイエス・キリスト、首はマリア、からだはキリストの枝であるわたしたち信徒である。

 神のみ旨は、すべての人が救われ、神にふさわしいみ栄えを帰することである。なぜなら神は、すべてをご自分のために造られた。「主はすべてのものを御自らのために造られた。悪人も、災いの日のために。」(箴言 16.4)
 そして、神のみ栄えは、わたしたちが救いを得ることによって実現するものなのである。