聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−

聖パウロに導かれて

聖パウロ女子修道会 シスター菊池幸江

使徒の女王

 聖パウロの月を迎える度に、わたしは、初めて聖パウロの言葉に出会った小学生の頃を懐かしく思い出します。それは、父の仕事で沼津の小学校に移り、そこで、明るくて笑顔がとても美しい藁科伸子ちゃんという新しいお友だちができたことから始まります。

 伸子ちゃんのご家族は、日曜日に揃って教会に行っていることを知りました。
 「わたしも連れてって」とお願いすると、喜んで次の日曜日から誘ってくださいました。そこはメソジスト教会でした。
 わたしには、教会に行くとても大切な目的がありました。それは、弟や妹が生まれたのにすぐ亡くなり、両親の悲しみがわたしにも伝わって、わたしも悲しさと寂しさを抱えていたからです。ですから、こんど赤ちゃんが生まれるとわかると、無事に育ってほしいと家族みんなが願っていたのです。それでわたしは教会に行って、神さまに、丈夫に育ちますようにと、しっかりお願いしようと心で決めました。

 日曜学校でわたしはイエスさまのことや聖書のお話を聞き、礼拝に参加して、すっかりイエスさまに魅せられました。毎週「聖書のみ言葉」が書いてある小さなカードをいただき、お気に入りのノートに貼って、楽しみに心に留めていました。中でも「旅人をもてなすことを忘るるなかれ」という句は大好きでした。それは母が、わたしを可愛がっていた祖母のことを話してくれたとき、「おばあちゃんは、お母さんによく言っていたのよ。一軒の家で、お米やお茶が減らないようではいけないって。」と言ったことと重なって、わたしの中で何かピンとくるものがあったのでしょう。

 父や母は、どなたでも家にいらっしゃる方をよくもてなしていましたので、「わたしのお父さんもお母さんも、イエスさまを知らないのに聖書のお言葉を実行している」と、尊敬の念をもって両親を見ていました。

 小学5年生の3月に、妹が7カ月の未熟児で生まれました。わたしはイエスさまに必死でお祈りしました。「イエスさま、妹が4歳になったらイエスさまに見せに教会に連れて行きます。妹が丈夫で大きくなりますように」と。

 小学校を卒業するとき、「わたしはこれからイエスさまに従っていきたい」と決心しました。そして、普段はそのことをすっかり忘れているのに、何か大切なことがあるとき、進学校を決めるときなど、その決心が思い出されるのです。

 中学生になったとき、沼津から横浜に引っ越しました。イエスさまとの約束がありますから、わたしは母にたのんで教会を探してもらいました。そして出会ったのが、カトリック教会でした。そこで19歳のときに洗礼を受けました。先輩の友人に、「イエスさまに従うのにはどうしたらいいの」と尋ねると「それは修道院に入るのが一番近道よ」との答えが返ってきました。「そうだ、近道を行こう」と思いましたが、修道院というものを全く知らなかったのでした。

 洗礼を受けてから、わたしはときどき聖体訪問をしていました。ある日、教会の入り口にポスターが落ちているのを見て、拾って貼り直すと、それは聖パウロ女子修道会の黙想のポスターでした。初めてこの黙想会に参加しました。

 それまでも、自分の進路を見いだすために祈り、悩んでいましたが、良い指導者に恵まれ、相談し、受洗後4年目に、聖パウロ女子修道会に入会しました。わたしをずっと見守り、導いてくださっていたのは聖パウロだったことに気づいたのは、ずっと後のことでした。

 旅人をもてなすことを忘るるなかれ」という句をローマ書に見つけてときは、うれしくてうれしくてたまりませんでした。「愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすように務めなさい。(12章9-13節)

 聖パウロの言葉は、わたしにとって日常生活と結びついた、とても具体的なものです。復活された主イエスが天に昇られるとき、弟子たちに命じられた「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われる」とのお言葉を心に刻み、「福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです」(一コリント 9-16)と、パウロのように、主がわたしのうちに働いてくださっていることを信じ、喜びのうちに今日も委ねられた宣教に励んでいます。聖パウロの娘として、わたしを力強く導き教え、祈りをもって支えてくださる師父パウロの祈りは、そのままわたしの祈りです。

 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。“霊”の火を消してはいけません。すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。どうか平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。」(一テサロニケ 5.16-23)