聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−

信心のすすめ T 「祈り」

アルべリオーネ神父

わすれな草

あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。(ヨハネ 15.16)

 主は、すべての人が救われることを望んでおられます。そのために、祈る恵みをすべての人に与えられます。祈りは、救いを得るため実際に必要な手段です。これは教会の教えであり、私たちは神の掟を守らなければなりません。私たちは困難に遭った時、祈らなければなりません。このようにして、神の恵みによりすべては可能になります。

 聖アウグスティヌスは「いくつかの掟は守りやすいもので、それらを守らなければならないが、他の掟は難しいので、祈らなければならない。こうしてわれわれは、それらをも守ることができる」と言っています。また聖アルフォンソは次のように書いています。「掟は、少なくとも祈りという偉大な手段によって、すべて守ることができる」と。

 英知と善良さに満ちている神は、私たちが担えないような重荷を負わせることはありません。むしろ、私たちが心から祈るとき、神は恵みで満たしてくださいます。そして、神の荷は快く、その重荷は軽いことを体験させてくださいます。

 聖パウロは私たちに、「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(一コリント 10.13)と注意を促しています。

 聖トマスは聖アルフォンソとともに、神の忠実はまさに、試みに遭ってご自分のところに走り寄る人を助けることである、と言っています。実に、「あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬も向けなさい。あなたがたを憎む者に親切にしなさい。」(ルカ 6.27-29)という神の掟を、祈りなしに守ることは難しいでしょう。しかしイエスはゲツセマネの園で祈られたし、聖ステファノ、聖ロレンソ、そのほかすべての聖人たちも祈りました。また、多くの善良な人々も毎日祈っています。彼らは、人間の力ではできない、しかも英雄的な業を遂行したし、今もしています。

 神はそのようなことを、すべての人に命じています。ですから、聖ヨハネ・クリゾストモは次のように言うのです。「悪魔に従う人はだれも弁解の余地はない。なぜなら、祈りを続けられたのにやめてしまったからである」と。聖アウグスティヌスはさらに次のように付け加えています。「あなたがよく理解できなかったこと、知らないことは過ちではない。しかし、祈りを怠ることは過ちである」と。「求めなさい。探しなさい。門をたたきなさい」(マタイ 7.7)という神の命令は何を意味するのでしょうか。もし私たちがそれを望むなら、そのことをいつも主に求めるなら、神の掟を守ることができるというのは確かなことです。

 主は私たちの普通の生活のために食卓を準備なさいませんが、食卓を準備するためのあらゆる手段を提供してくださっています。このように主は、超自然的な生活のために私たちが心をこめて用いなければならないあらゆる手段、すなわち秘跡、黙想、ロザリオ、射祷などを提供してくださるのです。

 主よ、祈りというこの偉大なたまもののゆえに、あなたに感謝いたします。
 私は、あなたの神に希望せよ。すべての民よ、主に希望せよ。主を恐れる者よ、主に希望せよ。
 なぜなら、「わたしに希望する者を、私は解放し、守り、栄光を授けるからである。
 あなたがたに与えられる恵みに希望せよ。
 希望によって彼らは救われた。神の約束には何の疑いもない」
 というあなたの言葉により頼みます。

糾明 − 私は、祈りによって主が絶えず与えてくださる恵みに、こたえているだろうか。
     たえず祈っているだろうか。それとも、困難のとき悲しみに浸ってしまうのだろうか。
     私の失敗、過ちをどう説明できるだろう。

決心 − もし私が望むなら、必要な恵みをすべて受け、救われることは確かである。
     私はこの真理をいつも心に留めておこう。