聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−

イエスと共に、わたしたちを御父のみ手にゆだねよう

アルべリオーネ神父

十字架上のイエス

 昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。太陽は光を失っていた。  神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」これは「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である・・・イエスは再び大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」こう言って息を引き取られた。(マタイ 27.45-46、マルコ 15.34、ルカ 23.44-46 参照)

 十字架上のイエスは、生涯の最期に臨み、最高の徳と崇高さの極みを示された。
イエスは神にささげるもっとも純粋な愛をもってご自分を犠牲にされた。この完全さの頂点は、十字架上のお言葉に表れている。
 「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」

 イエスは、ゲツセマネで深い寂しさを味わわれたが、それ以上に耐えがたく思われたのは、十字架上で御父に見捨てられたことであった。そのときまでは、敵どもの無慈悲な仕打ちや頑なさの彼方に御父のみ顔を見ておられたが、今は天も閉じたかのようだ。敵の勝利は決定的に見える。さらに極度の悲しみを与えたのは、この尊い受難にもかかわらず、たくさんの人びとが地獄に堕ちていくという光景であった。イエスの口を突いて悲痛な叫びがあがる。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ! わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか!」

 この不思議な遺棄は正しく理解されねばならない。
 イエスはかつて、「わたしをお遣わしになった方は、わたしと共にいてくださる。わたしをひとりにしてはおかれない。わたしは、いつもこの方のみ心に適うことを行うからである」(ヨハネ 8.29)と言われた。しかし今その保護は与えられない。御父は沈黙しておられる。

 煽動されるままに興奮し盲目的な憎悪と弩号を浴びせる人びとと地獄の力とに、イエスを任せられたのである。もちろん神はいろいろな方法で受難を避けさせることはおできになった。しかし暴力の勝利をお許しになったのである。

 イエスは「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか!」と叫ばれたが、それは御父の恩恵と愛情が取り去られたという意味ではない。ただ、御父がイエスの死を妨げず、イエスの霊肉の苦悩になんの慰めも与えられなかったということである。

 イエス・キリストは、ご自分がわたしたち一人ひとりを贖うためにどれほど高い値を払われたか、ご自分の死はどれほど苦しいものであったか、そして彼に従いたい者はどのような苦しみを与えられるかをお知らせになりたかったのである。

 イエスの愛する弟子ヨハネは書いている。「神の内にいつもいると言う人は、イエスが歩まれたように自らも歩まなければなりません」(ヨハネの手紙一 2.6)。
 イエスのお言葉は、神に対する非難やつぶやき、不満の表れではなかった。それは、ご自分の苦悩をわたしたちに知らせるためにもっとも適切な言葉、御父のため、人びとの救いのために耐え忍ばれた苦悩の深さを宣言する言葉であった。石の心でないかぎり、この叫びを聞いて理解と同情に心動かされずにいられるだろうか。

 イエスは御父に「なぜ、わたしをお見捨てになったのですか」とお尋ねになった。
この問いは、イエスご自身のためではなく、わたしたちが知らないから、わたしたちにそれを考えさせるためであった。十字架上のイエスのお言葉は、沈黙のうちに真の殉教を耐え忍んでいる者の慰めである。イエスはこの点でも手本をお示しになりたかった。

 イエスは十字架に先立つゲツセマネで「ひどく恐れもだえ始め」(マルコ 14.33)られた。わたしたちは苦しみに遭っても、けっして落胆してはならない。苦しみは神から遠いしるしではない。むしろ、神は全くご自分のものとなさりたい人を浄化なさる。この人びとが内的戦いもすべて、完全にご自分とともに十字架につけることを望んでおられる。

 だから、このように祈ろう。
 主イエス・キリスト、十字架の上で大いなる叫びと涙をもって御父に祈られた主よ、あらゆる苦しみと誘惑のさなかにも、あなたに祈る恵みをつねにお与えください。御あわれみによって、わたしたちをお見捨てにならないでください。わたしたちの切なる願いを聞き入れ、どんな苦しみに出会うときにも、どのような態度をとるべきかを悟らせてください。あなただけが、わたしたちを救ってくださると知っています。あなたのほかだれにも、また、どんな人間的手段にも頼りません。あなたは主、至高の御方、善そのものでいらっしゃいます。

 わが神よ、わたしたちの叫びがみもとに昇りますように。わたしたちはイエスと共に、御父のみ手にすべてをゆだねます。あなたのあわれみを乞うために身を低くするすべての人に、必ず御耳を傾けられる神よ、どうか、この願いをお聞きください。