聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−

アルベリオーネ神父(2)

聖パウロ女子修道会 シスター井出昭子

アルベリオーネ神父の像

 アルベリオーネ神父の中に育ちつつあったカリスマは、その後の十数年を通じて次第に明らかな形となっていきます。つまり、

  1. 1.組織の中にあって働く
  2. 2.人間の進歩を福音の奉仕に活かす
  3. 3.新しい使徒の形成
  4. 4.伝えなければならないのは、人間の秘義であるキリスト、「道・真理・いのちであるキリスト」であること。
聖霊の働きに敏感であったアルベリオーネ神父は、徐々に霊に照らされながら、1914年聖パウロ修道会を創立し、翌年、司祭の熱誠に参与する女性としての聖パウロ女子修道会を創立しました。

 アルベリオーネ神父は、社会の中に新しく現れてくるコミュニケーション・メディアについていつも敏感で、注意深くありました。彼は次々に生まれてくる新しい手段を、その進歩に従って取り入れていったということを知る必要があります。印刷、映画、ラジオ、テレビ、レコードなど、このような手段が発明されるに従って、わたしたちの使徒職の一つの形とするためにこれらを取り入れていきました。
 いつも開かれていたアルベリオーネ神父の歩みに、わたしたちも倣う必要があります。「進歩が提供する、より迅速で効果的な手段を取り入れていく」という彼の言葉は、わたしたちにとって大切な、重要な言葉です。

 修道会が教皇認可を受けた1953年の会憲には、「聖パウロ女子修道会の特殊目的は、修道女が天主の光栄と人びとの救霊のために、報道機関を手段とする使徒職をもってカトリックの教義の普及に全力をつくして働くことであります。報道機関を手段とする使徒職とは、出版・映画・放送・テレビ、その他一般に最も迅速にして、かつ効果的な手段、すなわち、人類の進歩が生み出す発明の利器や時代の必要と状況が要求する一切のものを含みます」とあります。
 ここに述べられていることが、現会憲にも貫かれています。今、新しいテクノロジーが大衆の中で広がり、もうだれもが使っているというような状況になる前に、わたしたちはそれを知るように努める必要があるのです。

 わたしたちにとって、新しいことを見るということは、単に見るだけではなく、これがどのように使徒職のためになり得るのか、どのような使徒職の道具なのかを見ることが必要で、そういう意味でわたしたちは最先端を行かなければならないのです。
 新しいテクノロジーについて学んでいくことは、わたしたちにとって年の黙想と同じような重要性を持っています。アルベリオーネ神父は、印刷機や出版のために使われる機械を祝福し、説教の中で「わたしたちの中に新しい教会博士が来られた」と言っていました。つまり、福音書や教理書を印刷していくこれらの機械を、「教会博士」のように見ていたのです。

 ヨーロッパで一番普及されていた週刊誌「ファミリア・クリスチア―ナ(キリスト者の家庭)」の発行において、彼はアルバで少年たちに、「やがて、この印刷工場には鉄道の引き込み線が引かれるようになるだろう」と言って、少年たちの心を夢でいっぱいにしたのですが、それは第二次大戦後に実現したのです。鉄道で、今では専用トラックで、津々浦々まで運ばれていっています。

 発送の袋入れも最初は手作業でした。アルベリオーネ神父は少年に「今、何をしているのですか」と尋ね、少年は「発送のために雑誌を袋に入れています」と答えると、「いいえ、あなた方は、イエス、今の時代に解釈された福音を送り出しているのですよ。あなた方も聖体を配っているのです」と言ったそうです。
 彼は、ビジョンを与えると同時に、使徒的祈りのあり方を伝えていました。仕事を祈りに変えるということです。

 このようなあり方を生きるために、アルベリオーネ神父はこう言います。
 「わたしたちの活動を、聖パウロの保護のもとに置きましょう。聖パウロは常に前進していました。より大きなキリストへの愛、より広い使徒職をめざしていました。毎日前進すること。立ち止まってはなりません。聖性の歩みにおいても、使徒的な働きにおいても、前進! 前に向かって進みなさい。わたしたちの生活は、常に前進することにあります」。

 そして、この前進ということに結びつけて、歴史に忠実である、ということを話しています。会員への説教の中でも、「新しい時代の聖人になること。過去の聖人ではなく今日の聖人に」と言っています。
 さらに、「この世紀にわたしたちは生き、活動しなければなりません。昨日生きていた人のことではなく、現在の人びとの必要を理解すること」と。

 わたしたちは創立者に忠実に従っていかなければなりません。そのためには、彼が育て、成長してきたものだけに目を向けるのではなく、1900年から、つまり新しい世紀に入るときから彼がはじめたこと、そこにあったことを記憶していかねばならないのです。

 わたしたちは、前教皇ヨハネ・パウロ2世と共に彼の指導のもとに新しい世紀を準備し、21世紀を迎え、11年が過ぎました。20世紀が始まるとき、16歳の少年アルベリオーネは一つの修道会の創立を考えていました。それは、10の修道家族の創立にまで続きました。
 わたしたちは、今生きている21世紀のために、何をしようと考えているのでしょうか?
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 デジタル時代と言われる現代のインターネットは、これまでの、単に「情報を流す」と言うことから、「人間関係を結び、友情を築く手段、新しい学び方、考え方」を提供するものとなり、今「産業革命」に匹敵する変化をもたらした文化的な大変革期を生きています。
 ネットワークとしてのインターネットによって、これまでは想像もつかなかったほどの新しい視野が開かれました。この視野の広がりは、その豊かな可能性と危険性を併せ持っています。このデジタル時代に、わたしたちは何を求められているのでしょうか。
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 このための祈りは、ことに聖体の中で行われます。
 アルベリオーネ神父は、「宣教的なメンタリティーをもって聖体拝領をしなければならない」と言います。そのために「まずご絵を出して、その裏に五大陸を、その大陸に何人の人びとが住んでおり、その中に何人のキリスト者がいるかを書きなさい。この差を念頭において聖体拝領に行き、この人たちの回心のために働く力と熱意を与えてくださるようにと祈りなさい」と言っています。これが宣教的な霊性です。

 わたしたちの聖堂は、個人的に祈りに行く閉ざされた場所ではなく、世界に向かって開かれた宣教のための場です。現在大陸はネットの普及により、国境がありません。グローバルな世界に生きているのです。この世界に生きる人びとを感じ取らなければなりません。アルベリオーネ神父がその中で働くようにと言うコミュニケーションは、メディアを通して成り立つコミュニケーションです。

 アルベリオーネ神父の神への忠実、人類への愛、つまりすべての人を福音の喜びに参与させたいという渇望、時のしるしへの鋭敏さなど、彼の人格が持つこれらの特徴は、20世紀の人たちに向かって神が教会に起こされようとしていた計画を実現するにふさわしいものでした。神の呼びかけと人間の応えが、アルベリオーネ神父の中に見事に花開いたのです。このアルベリオーネ神父を「神の人」と人は言います。1969年に教皇パウロ6世は彼を「今世紀の一大驚異」と呼びました。

 創立者は次のように言っています。「新世紀の寛大な人たちは、きっと自分が今感じているようなことを感じるのではないかと思われるのだった。」(AD17)と。すべて彼のあとに続く者は、「新しい使徒の群れ」(同19)であり、創立者と同じ渇きを感じる人たちです。

 教会は、全人類にキリストを述べ伝える預言的使命を持っています。現代という時代をキャッチしていく、人びとへの洞察力、それらをキリストに方向づけていく、という歴史への参加の自覚です。
 コミュニケーション・メディアをもって、より多くの人びとに福音を述べ伝えるこの使命は、教会の中に力強い波紋を起こしていくことでしょう。そしてこの福音の力が、今日すべての人びとの精神性への方向転換の波となっていくことをわたしたちは渇望するのです。

 この召命がパウロ的召命と言われるのは、偉大な使徒パウロに生きた模範を見るからです。わたしたちは彼を師父と仰ぎ、彼からその精神をくみとります。パウロ的召命の偉大なビジョンを考えるとき、弱いわたしたちに与えられた責任に、畏れおののきます。しかし、「このすぐれた業を始められたお方が、それをキリスト・イエスの日までに完成してくださる」(フィリピ 1.6)という信仰に立って前進するのです。