聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−

シスターテクラ・メルロ(1)

聖パウロ女子修道会 シスター井出昭子

シスターテクラ・メルロ

 シスターテクラ・メルロ(わたしたちはマエストラ・テクラとかプリマ・マエストラとか呼びます)について、何をお話ししようかと考えていました。というのも、創立者アルベリオーネ神父の存在なくして彼女について語ることはできないからです。同じように、彼女の存在なしに、アルベリオーネ神父は彼に託された使命も果たすことができなかったと思います。

 歴史を振り返ってみると、人類に貢献した偉大な人物や大聖人の傍らには、彼らの事業を補うかのように、必ず一人の女性の姿があります。聖ベネディクトには妹の聖女スコラスティカ、アシジの聖フランシスコには聖女クララ、聖ヨハネ・ボスコには聖女マリア・マザレッロというふうに。

 アルベリオーネ神父は、創立したばかりの男子修道会の傍らに一つの女子修道会を創立するという考えを、当時彼を理解する人たちに打ち明けていました。その彼に、数人の善良な娘たちが紹介されましたが、彼はその娘たちをあまり知りませんでした。

 セミナリオの神学生や、すでに霊的に結ばれていた協力者たちは、マリアにささげられている5月に、主が女子の修道家族を用意してくださるようにと祈りました。

 5月が終わると、アルベリオーネ神父にこう伝える人がいました。
 「アルバのカスタニートに、よい家庭の娘が一人います。信心にしても、知恵にしても、素直さにしても申し分がありません。ただ、彼女には二つの難点があります。一つは健康に乏しいこと、もう一つは村の学校にしか通わなかったことです」。アルベリオーネ神父は「来させなさい。主がお望みならば、彼が充分な健康と、任務に必要な知識をお与えくださるでしょう……」と答えました。

 こうして、アルベリオーネ神父とテレサ(後のシスターテクラ・メルロ)の最初の出会いの時が設けられたのです。二人の最初の出会いは、聖ダミアノ教会の香部屋で行われました。彼女の母は、この出会いの間、聖堂に残り祈りながら娘を待っていました。

 アルベリオーネ神父は、修道女を招くために『司祭の熱誠に参与する女性』と題する一冊の著作を手掛けていました。司祭と協力する女性は、どれほどたくさんのことができるか、特に出版使徒職において女性は何ができるかということを解説しています。それまでとは異なった修道女のあり方、マス・メディアの新しい分野を生きる修道女について書かれていました。当時の教会のなかで、それはまったく無謀であり、とんでもないことだと批判されましたが、彼の確信は女性たちに伝わったのでした。

 テレサは、「アルベリオーネ神父が『良書出版の使徒職に献身するため、神に自己を奉献したいと望む娘たちを探している。そういう使徒職によって大きな善を行うことができる。当初は少女たちのために開いたばかりの仕事場の世話をすることだが、なるべく早く、印刷学校の少年や神学生がすでにしているように、少女たちも完全に良書出版に献身することになろう』とおっしゃいました」と神父の申し出を母に報告しました。
 彼女はアルベリオーネの招きに応え、彼の必要に自分のすべてを備えるためアルバへと出発したのです。

 アルバの聖ダミアノ教会主任司祭で著名な執筆家、すぐれた神学者、司牧者でもあったキエザ神父(1874〜1946年)は、アルベリオーネ神父の事業を最初から支持し、その事業に全面的に参与してくれていました。この司祭のもとで、最初のグループのメンバーたちは、カテキスタとして、また日曜日には、教会の入り口で良書の普及に励んでいました。

 スーザの司教モンシニョール・ジュゼッぺ・カステッリは、休刊になっていた新聞「ラ・ヴァル・スーザ」の発行を再開してほしいと、アルベリオーネ神父に依頼しました。1918年のことでした。アルベリオーネ神父はそれを一つの印と理解し、その任務を引き受け、彼女たちは新聞を印刷し、普及しました。そのうえ小さな書院を開き、将来自分たちのものになる良書出版使徒職の大まかな輪郭を身につけていったのです。

 1922年7月22日に、聖パウロ女子修道会は公に発足しました。創立者は新しい立誓者を、「師イエス」に敬意を表して「マエストラ」と呼び、みなに「今日からあなたたちの総長はマエストラ・テクラです。わたしは向こう12年の総長として彼女を任命します。その後はあなたたちで考えなさい」と宣言しました。

 使徒パウロをパウロ家族の創立者として差し出したアルベリオーネ神父は、使徒パウロの説教を聞き、キリストの愛の深さを知ってすべてをささげようと決意し、使徒パウロに従ってその宣教に協力した聖女テクラの名を、聖パウロ女子修道会の初代総長シスターテクラ・メルロの名前として、「聖女テクラのようにあなたも強くありなさい」と彼女を励ましました。その時から死まで、シスターテクラ・メルロは聖パウロの娘たちの長上であり、母でした。

 シスターテクラ・メルロは、パウロ家族の創立者アルベリオーネ神父の傍らにあって、創立者のよき理解者として、パウロ家族の他の修道会の創立を助けました。これら各会の創立にあたって、シスターテクラ・メルロはアルベリオーネ神父の期待どおり、パウロ家族の他の会の「やさしくて強い母」として、具体的援助と母性的な励ましをおくったのでした。今もパウロ家族の“母”と呼ばれ、愛され、慕われています。

 つまり、彼女は、聖パウロ女子修道会の創立とパウロ家族の他の修道会という神のご意志の実現の可能性を創立者に与えたのでした。この道で、彼女は模範的であり、温順そのものであり、内的深さと共存する偉大な活動の人でした。

 彼女は、パウロ家族のメンバーの健康のこと、精神のこと、勉学のこと、すべてについて心を配っていました。聖パウロ女子修道会の会員だけでなく、聖パウロ修道会会員も、宣教に出発する時に、また帰国した時には彼女のもとを訪れ、彼女は彼らの必要を感じ取り、配慮し、励ましていました。一人の聖パウロ修道会会員は、創立者にあいさつする前に彼女のところに行ったと証言しています。