聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−

「異邦人の庭になろう」

聖パウロ修道会 鈴木神父

聖パウロ大聖堂の庭

 今日ここに集まっている方がたは、すでに協力者として生きているわけですが、あらためて協力者会のバッジを受けるということが何を意味しているかと言えば、気持ちの再設計をするということ。再設計をするとはどういうことか。これから生きる者になるために、悔い改めて新しいあなたになる、信じなかった者が信じる者になる、ということです。ここで言えば、バッジを意識して、シスターたちの限界を協力者が支えるということ。

 女子パウロ会では今、自分たちが率先して〈異邦人の庭になろう〉とその修道奉献生活のあらゆる分野で再設計を行っている。この〈異邦人の庭になろう〉という言葉はパウロ会が言い出したわけではなく、2011年5月の「世界広報の日」のお話の中で教皇ベネディクト16世が言われた言葉です。

 異邦人の庭とは、ご存じでしょうがエルサレム神殿にはユダヤ人だけではなくだれでも入れるところ、場所として「異邦人の庭」と呼ばれる場がある。最初、ソロモン王が建造した神殿にはそんなものはなかった。そのころの神殿は、実にユダヤ人だけのものであったからです。ところが以後、1,000年の歴史の出来事の中で(バビロンの捕囚、移住等)ユダヤ人も異邦人と交わらざるを得なくなったために、改宗者の手続き、受け入れの用意もしなければならなくなり、ヘロデ大王の時代に建造された神殿には、この庭があったということです。

 さて、現在に目を向けてみよう。教会と生活の場が遊離していないか? 信仰と生活が分断されていないか? キリストを知らない人にキリストをどう知らせようとしているのか? そこで、さあ、その場をつくろう、ということです。わたしたちが内側から変わり、扉を開いていけば、もっと多種多様な人びとが入って来られるようになるのではないか。

 教皇ベネディクト16世は、教会が教会の型の中に閉じこもるのではなく、インターネットの威力を正しく大いに活用して、この広場を広げていこうではないかと語りかけておられるのです。

 わたしたちの保護の聖人聖パウロは、外に出かけて行ってそこに異邦人の広場をつくった。そしてノン・クリスチャンと出会い、大切な事を話した。しかし、そこにじっと留まってはいけない。人は求めるものも、求め方もそれぞれ違うし、すべての人が今福音を必要としているわけでもない。また関心のある人びとばかりでもない。でもその中に必ずまた必要としている人びとに出会えるはず、友となる人がいるはずだ。最低の信頼関係を築き、一方的でない絆を結んでいく。まず相手の人が満たされることを願い、後にその人が教会を求めるように望む時が来たら教会に行けばいい、と、そういう精神性をわたしたちが持っているということは、実に大切なことである。

 イエスも彼らのところに出て行かれた。あなたと友になろうと。悲しむ人のところ、貧しい人のところに出かけられた。そのうちに、貧しい人、悲しむ人びとがイエスを必要として、イエスのほうに寄って来た。
今日協力者になるとは、自ら異邦人の広場になろうとすることであり、開かれたあなたになるということ、そうなるように願い続け祈り続けることでもある。

 さて、広場になるために必要なことは?  相手を知ること、相手に出会うことだ。
 教会の外で、いちばん関心のあることとは何だろう。そのことを分かっていなければ、外のことを理解できないだろう。社会に福音をと言っても、やたらにこちらの価値観だけを押しつけてもだめだ。相手のことを受け止められなければ始まらない。小さい、小さいほんとに1対1で分かり合っていきながら、つまり相手と共有できるくらいに分かり合うことが必要である。

 何のために異邦人の庭になるのか。いくら福音を告げ知らせるためとはいえ、福音を最初に語ってはならない。まずは自らが福音を生きることから始めよ。そうしたら相手が関心を示す。そこから会話が始まる。なぜ“にもかかわらず”わたしが微笑んでいるのかが分かって貰えるようになる。いちばん身近なところから始め、出会いを深め、信頼が深まっていくのを確かめながら、相手の心に響くように、自分がキリスト者として持っている大切なものを発信する。

 最も大切なことは、キリストがわたしの罪のために死んでくださったこと。わたしの信仰は、キリストの死と復活によって立っていること。わたしはそれを信じていること。

 これは何を意味しているかと言えば、人間はどう生きればいいかを示唆し、神を愛し、人を愛するという掟をひたすら守るということ。今理解できなくても、こだわり続けて生きること。そうすると繋がりや絆が生まれ、愛する人との絆が互いを輝かせるものとなっていく。キリストの愛が溢れているから、十字架の愛があり、復活があると受け止め、受け入れるわたしが異邦人の広場へと出かけ挑戦する者となる。

 さあ、壁を突き破れ! 人びとと共に痛みを感じ、悩みを共有するわたしになろう。今日、あなたたちは異邦人の庭となるように召され、福音を告げ知らせる使命を帯びている者となったことを、しっかり意識化するように努めよう。(大道・記)