聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−

マリア、世界の女王(I)

アルベリオーネ神父

使徒の女王

 マリアは母であり、師であり、女王である。母として、彼女はその子らを愛し、助ける。師として、弟子たちをもっている。彼らが神の導きに温順に従うよう望んでいる。
 女王であるマリアという概念は、全世界の王であるイエス・キリストについて言われると同様のことが(相対的にであるが)含まれている。主はつかさどられる。それは真理の、愛の、平和の王国であり、正義の、恩恵の王国である。

 マリアは御子の王権にあずかり、彼女の王国とは、とりもなおさず御子の王国である。イエスは、「あなたはユダヤ人の王か」とピラトに尋ねられたときお答えになった。「あなたの言うとおりだ」(ルカ 23.3)と。「そうだ。しかし、わたしの国はこの世のものではない」(ヨハネ 18.36)すなわち、世界の上にわたしが権力をもっているのは、人間の意志によるのではない、と。マリアが女王であるという理由は、第一に王であるキリストの母だからである。

 イエスの王国に終わりがないように、マリアの王国も終わりがない。「その支配は終わることがない」(ルカ 1.33)と、マリアに神の母となることを告げに来た天使は言った。
 「あなたのみ国が来ますように、キリストのみ国が来ますように、キリストが統治されますように」という射祷は、「女王マリアによって」と答えることによって、もっと完成された祈りになる。子が王であれば、その母は女王である。

 実に、マリアはその卓越性のゆえに女王である。非常にすぐれた作品に対して、人は、その種のなかの王と言い、非常に美しいものを、王者のような、と言うように、マリアは被造物のなかで最高であるゆえに女王と呼ばれるのだ。

 マリアは次の三つの点で傑出している。第一の卓越性は自然によるもので、この面においてマリアはすべての天使と人類よりもすぐれている。
 第二の卓越性は恩恵によるもので、すべての天使と人間の恩恵を合わせたよりも豊かに恵まれている。 第三の卓越性は栄光による。マリアの栄光はすべての天使、聖人にまさっている。なんとすぐれた被造物であろう! 彼女を“世界の女王”と呼ぶのは全く当を得たことである。

 自然という点から見ると、マリアはイエスに次いで最も美しい魂を持ち、イエスに次いで最もよい性質を持っている。人の子のうちで最もうるわしいイエスのみ姿に次いで、マリアは美しい姿を持っている。
 ルルドで出現した無原罪のマリアのご像を作ったとき、それに携わった画家や彫刻家は、できるかぎり容姿を美しく描き出そうと努めたが、マリアを見たあの幸いな少女ベルナデッタ・スビルーは「ああ、いいえ、これよりずっと美しゅうございました」「いえ、いえ、これより、ずっとずっと美しゅうございました」というばかりであった。

 マリアの衣服ほど潔白な布はこの世になく、マリアの顔ほど美しいものはない。マリアのように、上知、知恵、美しさを持っている女王はけっしてこの世には見られない。聖書には、マリアについて幾つかの感嘆すべき言葉がある。
 「この世が始まる前にわたしは造られた。わたしは永遠に存続する。聖なる幕屋のなかでわたしは主に仕え、こうしてわたしはシオンに住まいを定めた。主はその愛する町にわたしを憩わせ、わたしはエルサレムで威光を放つ。わたしは栄光に輝く民の中に、わたしのものとして主が選び分けた民の中に、根を下ろした。」(集会書 24.9-12) 言いかえれば「わたしはすべての国の女王ですが、やさしく愛らしい、人の心を奪う女王です。」

 そうだ。マリアは恵みの女王である。これは彼女の第二の卓越性である。彼女は原罪の汚れを持たず、最も恵みに満ちた方である。大天使ガブリエルは「恵みに満ちた方」と挨拶をおくった。(ルカ 1.28)
マリアは「太陽をまとっている」あの「女性」(黙示録 12.1)である。そのやさしい温順な性質のゆえに、第一の人の「まことの伴侶」(創世記 2.18)、司祭であるキリスト、師であるキリストの助手である。

 最後に、マリアは栄光の女王である。イエス・キリストに次いで、天国における最もすばらしい栄光はマリアの栄光である。彼女は、天使、太祖、予言者、使徒、殉教者、証聖者、諸聖人の女王である。

 以上に述べた三重の卓越性のゆえに、マリアは世界の女王と呼ばれ、この名称にすべての他の呼び名は含まれている。1955年から、わたしたちは毎年5月の最後に当たって、世界の女王マリアの祝日を祝う(第Ⅱヴァチカン公会議後「聖母の訪問」の祝日となった) 。
 世界の女王、すなわち創られたもののうちで最も美しく、選ばれた魂のなかで最も美しい、そして天国で最も光栄ある者マリアを祝うのである。

 このゆえにわたしたちは、わたしたちの聖堂を使徒の女王にささげた。キリスト教の心臓部であるローマにあって、またパウロ家族の中心にあるこの聖堂をこそ、わたしたちは使徒の女王にささげたいと望んだ。ここに心がある。ここに、自分の子らに囲まれて母がいる。ここに女王がいる。