聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−



信仰年に、わたしたちはパウロの精神をどう生きるか −拒絶された「パウロの信仰」−X

聖パウロ修道会 鈴木信一神父

聖パウロ

 前回は、「わたしたちが救われるのは律法によってではない。信仰によってこそ、わたしたちは救われる」というパウロの信仰理解が、わたしたちの信仰の基礎になっているとお話ししました。

 わたしたちはいわばパウロ軍団の一員なので、別に、パウロの信仰理解が問題だとは思いません。けれどもパウロが生きていた時代には、彼の信仰理解は大問題でした。パウロの信仰理解を簡単に言えば、「律法によってではなく、信仰によって義とされる」ということです。

 「旧約聖書のどこにそんなことが書いてあるか?」「おまえは何様だと思っているのか!
どんな権威を持って、そんな信仰理解を口にするのか!」「自分の信仰理解は正しいだと?
勝手な主張をするな!」「先祖伝来のわたしたちの神を信じ、イエスを信じていると言いながら、おまえは神がお与えくださった律法をすてるのか!」

 「旧約聖書を読んでみろ。イエスがどのように生きられたかを見てみろ。イエスは律法をしっかりと守っておられる。」「キリスト者としておまえは間違っている! おまえの信仰理解の根拠を見せろ」などと、パウロはさんざんに言われたのです。

 わたしたちは「律法によってではなく、信仰によってのみすくわれる」というパウロの信仰理解をスーッと受け入れることができます。なぜなら、新約聖書に収められたパウロの手紙にそれが書いてあるからです。しかし、パウロの時代に、彼の言葉に権威はなく、新約聖書もまだ存在しませんでした。

 周りから激しく攻撃されながらも、パウロは確信していました。「間違いない。イエス様を信じさえすれば、確かにわたしたちは神の子の恵みに与る、わたしたちは救いに与る」と。
 新約聖書に収められたパウロの手紙を見てみましょう。
  ローマの信徒への手紙 3章21〜28節、4章1〜25 節。 (続く)