聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−



信仰年をどう生きるか −先入観、偏見を捨て−U(東京協力者会での講話)

聖パウロ修道会 赤波江謙一神父

バルトロマイ

 協力者の在り方は、わたしたちの宣教生活の原点であるはずです。しかし、それを妨げるものがあります。前回お話しした福音(ヨハネ 1章43〜51節)のナタナエルの言葉にあるように、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」という先入観と偏見です。

 残念ながらわたしたちは、これまで長い時間をかけてつくりあげてきた先入観と偏見を、簡単に棄てることができません。家庭の中で、職場で、地域とのかかわりの中で、隣人に対する偏見、先入観を棄てることができないでいます。自分の中の過去の歴史をもって人を見るというのがわたしたちの日常生活の行動の根底にあります。

 わたしたちの日常生活のすべては福音宣教であるはずですが、具体的に聖パウロ女子修道会の協力者としての福音宣教の従事者と考えるならば、聖パウロ女子修道会に対する自分の先入観、偏見はないとは思いますが、もしあるとすれば、それは自分の行動を妨げる大きな要因になります。

 どうして修道会はこんなことを言うのか、自分の考えが正しい、自分の考えに基づいてしか行動しない、ひとから何と言われても、それに心を動かされないということは、主の協力者とは言えません。協力を求められる側にすべてを委ね、修道会、またキリストから、「来て、見なさい。そうすればわかる」という招きを、心の耳で聴くようにしなければなりません。

 ナタナエルはフィリポに出会って呼びかけられたとき、最初は「聞かなくてもわかる」という態度をとりました。これはわたしたちの日常生活にもあります。自分の中につくりあげられた価値観だけを基準にしてすべてを理解しようとする偏見と、闘わなければなりません。

 イエスの福音宣教に従事する中で、自分自身の偏見を乗り越えることができるよう、聖霊に委ねてキリストの呼びかけ、福音の呼びかけに応えていくようにしましょう。これは、わたし自身が自分に常に言いきかせていることでもあります。 (続く)