聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−



信仰年をどう生きるか −先入観、偏見を捨て−V(東京協力者会での講話)

聖パウロ修道会 赤波江謙一神父

フィリポ

 前回お話しした福音(ヨハネ1章43〜51節)の中で、わたしの好きなところはナタナエルの純粋さです。「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったものの、フィリポから「来て、見なさい」と言われると素直について行き、イエスの言葉を聞くとすぐに、「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」と答えます。

 これは飛躍しているように聞こえるでしょうが、ここには自分の偏見を素直に捨てて、自分の考えに新しいものを受け入れる純粋な人の姿があります。イエスご自身、このナタナエルを見て、フィリポに「まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない」と言われたのです。こうしてフィリポもナタナエルもイエスに従いました。

 わたしたちも聖霊の働きを祈り求めましょう。福音宣教者としてのあり方を教えてください、と。ときにはフィリポのように、「来て、見なさい」と言って友人をイエスのところに連れて行き、ときにはナタナエルのように、自分のなかに偏見があっても、それを捨てて呼びかけに素直について行き、そこでイエスに出会うことができるように。

 イエスは、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負ってわたしに従いなさい」(ルカ9.23)と言われます。大事なことは、「自分はイエス様について行きたいのか」と自分に問うことです。「わたしはイエス様について行きたいのだ」とはっきりわかったならば、わたしたちは自分を捨てなければならないのですが、「自分を捨てる」「先入観を捨てる」ことが、自分を捨てるということでもあるのです。

 イエス様について行くことが福音宣教に従事することであり、イエス様の福音宣教の協力者になることでもあります。そのために自分自身を聖霊に委ねましょう。委ねるとは、聖霊を常に祈り求めることにほかならないのです。 (完)