聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−



パウロの娘たち―その起源と歴史的発展―

聖パウロ女子修道会 シスター三嶋邇子

10.聖パウロ女子修道会教区直属修道会認可まで

レ司教

 聖パウロ広場における聖パウロ修道会、聖パウロ女子修道会、師イエズス修道女会の三つの会は「家」と呼ばれ、家庭的な性格を持っていました。実際生活においても、使徒的イニシャティブにおいても、相互依存関係にあって分離しがたい性格をもっていました。

 アルベリオーネ神父の修道会創立プロジェクトは、この「家」と呼んでいた男子部と女子部、それに協力者会を包含した創立全体のプロジェクトを紹介し、聖パウロ修道会という唯一の名のもとに司教直属修道会として認可されるよう申請書を提出していました。

 それには「この会は二つの部分、男子部と女子部から成り立っており、二つとも共同生活をし、誓願を宣立する。それに加えて、世俗で生活する男女の『よい出版の協力者会』があり、以上三つの部分から成り立っている」とありました。しかし、この創立プロジェクトはもう少し整理する必要があるということで、認可を得ることはできませんでした。その後の認可までの道のりは複雑で苦しい歩みでした。

 1927年3月12日、男子部だけを教区長認可による修道会として創設する認可が与えられました。
 その後、聖パウロ女子修道会と師イエズス修道女会とを一つの修道会の二つの部分として設立認可を出願しましたが、1929年3月15日、レ司教は聖パウロ女子修道会が教区直属修道会として設立されたと署名しています。その中には、マエストラ・テクラ・メルロが、プリマ・マエストラという名称で総長に任命され、15年の期限で会憲が認可されています。そこにはもう、師イエズス修道女会については、何も触れられておらず、ただ一つの修道会になっています。

 ここから、共同体・使徒職・経営管理・養成などのレベルで、苦しみを伴う複雑な状況が生まれ、このような状況は1947年まで続きました。 (続く)