聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−



パウロの娘たち―その起源と歴史的発展―

聖パウロ女子修道会 シスター三嶋邇子

11.新しい出発

ジャッカルド神父

 聖パウロ修道会と聖パウロ女子修道会は、創立が神のみ旨であることを確証する教会法の認可を受けて、新しく出発しました。しかし女子の会については、師イエズス修道女会は、彼女たち固有の生活を続けていましたが、法的な行為においてだけ、二つの会が一つになっていて、認可を得るためには1947年まで待たなければなりませんでした。

 聖パウロの娘たちは、アルバという地域を超えて、また印刷の使徒職を越えて、遠い空に向けて希望を膨らませていました。すでに1926年1月、ジャッカルド神父と三人の少年、それに二人の聖パウロの娘たちはローマに修道院を創設するために出かけていました。その後は、イタリア国内の他の地域において修道院を開くことでしたが、目指すのは大都市です。南部ではサレルノとバリが選ばれ、その後北部のベローナに姉妹が派遣されました。

 支部創設は、どこででも同じやり方で、まず、普及センターと呼ばれる書院を開き、そこから聖パウロ修道会の定期刊行物やローマで印刷された週刊誌などの予約を集め、またその他のイニシャティブの普及に努めました。1929年家庭プロパガンダを開始し、1932年には 246教区の全小教区を訪問し終わっていました。

 村から村へと歩きながらも、当時のイタリア人の読書傾向は非常に低く、それに輪をかけて、全般的な経済状況の悪化に見舞われ、人びとの購買力は少なかったのですが、アルベリオーネ神父は彼女たちを励ましました。

 1930年から1933年の間にアルベリオーネ神父は書店のアイデンティティを「説教の場」と位置付け、次のように言っています。

主任司祭は聖堂で教える。しかしこれだけでは十分ではない。参加している数は少なく、数時間後には忘れてしまう。それが無駄にならないため、また生活の中に活かされるためには信心書や定期刊行物で補われなければならい。説教の実践的実りを得、それを継続するために……。

(続く)