聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−



パウロの娘たち―その起源と歴史的発展―

聖パウロ女子修道会 シスター三嶋邇子

12.世界に向けて

アルベリオーネ神父とマエストラ・テクラ

 1931年、イタリア国内だけでなく、海を渡り、世界に向かって宣教が開始されました。第一回は、南アメリカとアメリカ合衆国でした。ジェノバからアルゼンチン、ブラジル、アメリカ合衆国へと出発しました。

 拡張というとき、使徒的展望の拡大、イニシャティブの増加、そして会員数の増加を意味しています。1930年から1932年までの間に、創立者は長い潜心と祈りの時を過ごし、二度も一か月の黙想をしています。発展していく中で、会員がもっと深い会固有の養成を必要としていることに気がついた創立者は、二冊の本を著しました。『キリストがあなたがたのうちに形づくられるまで』(1932年)と『出版使徒職』(1933年)です。

 また、編集のセクションでの歩みが始まり、印刷物(stampa)によるということばの傍らに出版(edizione)ということばが使われ始め、修道会の固有の目的は出版使徒職(Apostolato dell’ edizione)という表現が使われるようになりました。「……神の栄光と人びとの救いのために、出版と、科学の新しい発明、個人や大衆の上に心理的力をもっている技術(今日では、映画、ラジオなど)を使います、この時代と環境に適合した活動の総体を、出版使徒職と呼びます」と書かれています。

 1936年、アルベリオーネ神父とマエストラ・テクラはローマに移転しました。パウロ家族に使徒的召命の中心にある普遍的センスは世界的視野を広げ、1934年ごろから東洋に眼差しを注ぎます。中国、インド、フィリピンへと到達しますが、遠く日本までの道のりは、第二次世界大戦を経てからになります。

 ローマに移転した創立者は再び創立の中心に身を置きます。聖パウロ修道会という名のもとで、唯一の修道会を形作るという歩みは困難を極め、実際にはそれぞれの会は、はっきりとした区別をもって進んでいきます。紆余曲折を経て、聖霊は「パウロ家族」という唯一のプロジェクトに向けて導いていきます。

 修道会歴史の前半は一応ここで終わります。