聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−



日本管区創立史―本部・支部修道院の始め―

聖パウロ女子修道会 シスター三嶋邇子

1.来日(1948年8月6日 ご変容の祝日) 

最初のシスターたち

 第二次世界大戦後、新たな熱意をもって始めた修道会は、外国から一時帰国した宣教師たちによって、再び宣教への熱意と願望が広がっていきました。帰国した人びとの中には、日本からのパウロ・マルチェリーノ神父もいました。

 1947年1月12日、4人の姉妹が日本に向けて出発することが発表され、Sr.イレネ・コンティ、Sr.パルミラ・ベルナルディーニ、Sr.ヴィンチェンツァ・プレストフィリッポ、Sr.ロレンチーナ・ノタです。彼女たちは教皇ピオ12世の祝福を受け、感激のうちに、1947年4月14日ナポリからアメリカに向けて出発しました。ニューヨークで働きながら英語を学び、サン・フランシスコ、マニラを経て翌年の1948年8月6日、横浜港に到着しました。出迎えたパウロ神父はタラップを降りる彼女たちを見て、「やっと、やっと」とうれしさにことばを詰まらせていました。

 東京に向かう道は戦禍の痕も生々しく、街は廃墟のままでしたが、彼女たちの住居は阿佐ヶ谷にあり、厳しい戦災を免れており、閑静な住宅地でした。生垣に囲まれた二階建ての日本家屋で、小さい池のある日本庭園に囲まれていました。

 1948年頃の日本のキリスト教会は、信教の自由、言論の自由が確保され、出版事業も新しい飛躍が期待されていました。聖パウロ会も四谷に中央出版社の名称で出版事業を続けていまいた。当時の東京教区長は、シャンボン大司教が1948年9月19日に逝去された後、土井大司教が就任されていました。大司教は、出版事業には理解がありましたが、訪問による宣教は日本人の抱く修道女のイメージと異なる宣教方法のため、宣教のマイナスになることを恐れて消極的でした。そこで、パウロ神父はまず書院での宣教から始めることを考えていたのですが、シスターたちは日本語の勉強をしながら近所の子どもたちを集めて神さまの話をしたり、祈りを教えたり、聖パウロ会から運ばれてくる印刷された紙を折る作業などをして、その日を待っていました。 (続く)