聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−



日本管区創立史―本部・支部修道院の始め―

聖パウロ女子修道会 シスター三嶋邇子

2.創立者と初代総長、初の来日

家庭宣教

 阿佐ヶ谷修道院の生活が始まってまだ一年もたたない1949年5月、創立者プリモ・マエストロと総長プリマ・マエストラがインド、マニラを経て日本を訪問しました。

 創立者は聖パウロ会の黙想指導やまた聖パウロ女子修道会の四人のシスターの黙想を指導し、日本の宣教状況を尋ねたり、将来のビジョンについて有意義な勧めを与えました。そして、この訪日において土井大司教を訪問したとき、これまで許可が出なかったプロパガンダ(家庭訪問宣教)を、小教区の主任司祭の了承を得て行う許可を得たので、使徒職が大きな第一歩を踏み出す機会となったのです。

 プリマ・マエストラのデリケートな心づかいを表すエピソードを、シスター三武はこのように書いています。日本の土地に訪問宣教が受け入れられるかを心配していた彼女は、まず二人のシスターを訪問宣教に遣わしました。二人は市電に乗って「どこから始めましょうか」「ここからにしましょう」と電車を降りたところは市ヶ谷でした。

 「ごめんください」と玄関を開けると小さな女の子が出てきて、黒い服のシスターにびっくりし、すぐ奥に引っ込んでいき、代わりに母親らしい方が出てこられ丁寧にお辞儀をされました。彼女たちはメモを見ながら教わったとおりの挨拶をすると「では、これをいただきます」と一冊の本を手に取られました。このように、どこでも好意をもって迎えられた彼女たちは、帰りに鶏を二羽買って帰院し、心配しながら待っていたプリマ・マエストラに感謝のうちに報告し、こうして訪問宣教が日本の大切な使徒職となったのです。

 聖パウロ女子修道会最初の邦人シスターとなったフランチェスカ三武富子(Sr.M.テクラ)は、プリマ・マエストラに直接会って入会の許可を得ました。このとき、プリモ・マエストロとプリマ・マエストラは、この小さな共同体に発展の兆しを認め、新しい修道院のために乃木坂の土地を選び、そこを本部修道院にするよう決めました。 (続く)