聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−



日本管区創立史―本部・支部修道院の始め―

聖パウロ女子修道会 シスター三嶋邇子

5.二番目に開設された大阪修道院(1951年8月28日)

阿倍野の書院

 来日して三年と日も浅く、一年前には福岡支部を開いたばかりで、経済的にも人材的にも苦しかったときですが、大阪教区の田口大司教(後枢機卿)のたっての願いで、1951年8月、大阪に修道院を開くことになりました。大司教が提供してくださった小さな家の仮住まいで、まず家庭訪問宣教から始め、その年の12月8日には阿倍野区阿倍野筋に木造二階建ての書院を開くことができ、翌年春には、改造が必要だった二階を修道院として住むことができるようになりました。
 1951年10月にはマダレナ永橋長子が最初の志願者となり、同じ年のクリスマスには5人の志願者を東京に送りました。

 昭和元禄といわれた1950〜60年代、日本にはデパートがあちこちに建ち、華やかさを誇っていました。シスター・イレネ・コンティ(初期管区長)はプロパガンダや書院でも出会えない人への宣教の場としてのデパートのコーナーに着眼し、協力者を得て1960年代には日本の大都市のほとんどのデパートにコーナーを設けることができ、そこでは、多くの人の出会いがあり、教会を紹介し、召命司牧の場ともなりました。

 1960年12月には大阪・梅田の阪急デパート、1961年には和歌山、奈良方面の人びとのための近鉄コーナー、また京都の大丸などが宣教の場となりました。しかし1970年代には2、3を除いて全国のほとんどのデパートから退きましたが、阪急のホーリーコーナーはその後も長く続キ、2000年に惜しまれながら閉鎖となりました。

 大阪修道院は、1964年に阿倍野から尼崎の園田に引っ越し、園田修道院の建物の一角に書院が設けられました。大阪教区に修道院を設立してから園田の修道院に移転するまで、阿倍野の主任司祭(後に司教)の小林有方師は使徒職においても霊的指導においても援助を惜しまず、会の成長に力を尽くしてくださった恩人です。 (続く)