聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−



日本管区創立史―本部・支部修道院の始め―

聖パウロ女子修道会 シスター三嶋邇子

6.乃木坂修道院(1951年〜1953年)

乃木坂修道院

 1951年、乃木坂新修道院は真新しい聖堂での着衣式によって幕を開けました。長崎からの志願者二人が1月25日の聖パウロの回心の祝日に着衣し、これで五人の着衣者となりました。また、福岡から1月に上京した二人の志願者とともに、2月には東京の新しい修道院には志願者が十一名となりました。
 志願者たちの仕事は、荒涼たる庭と、がれきの山を整理する作業でした。新修道院の北側には、占領軍に払い下げてもらった兵舎二棟と豚小屋、山羊小屋、鶏小屋があり、その飼育に不慣れな志願者たちは大わらわでした。

 戦前に来日した聖パウロ会は、戦後いち早く出版による使徒職を再開しましたが、GHQ(占領軍総司令部)が民間放送を認める方向にある情報を耳にしたパウロ神父は、日本での新しい使徒職のためにカトリック放送局の必要を感じ、1948年12月、逓信省電波局に「セントポール放送協会」を申請し、1949年新宿区四谷で建築を始めました。

 その後「財団法人日本文化放送協会」と改称し、予備免許を受けることができました。聖パウロ修道会、聖パウロ女子修道会は協力して経費を生み出すために働き、また放送局で働く会員の養成を始め、1951年10月には放送局への第一陣が派遣されました。
こうして始まった放送局も、その後労働組合が組織され、修道会が運営していくことが困難になり、1956年に「株式会社文化放送」と改組され、以後、聖パウロ修道会は株主の一員としてとどまることになりました。

 1952年の夏、長野県上田市と長野市に最初の出張プロパガンダ(家庭訪問宣教)が始まり、その一か月後には釧路教会の主任神父様の要請で北海道にまで足をのばしました。

 1953年3月15日、ローマで修練を行っていたSr.三武、Sr.石野、Sr.菅が初誓願を立て、1953年6月28日、九人の修練女たちによって、日本での最初の修練が始まりました。(続く)