聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−



日本管区創立史―本部・支部修道院の始め―

聖パウロ女子修道会 シスター三嶋邇子

10.高松修道院設立(1959年2月11日)

高松修道院

 日本の各地に支部修道院を設立したいという希望に向かって成長している時期、1959年1月に、副総長マエストラ・イグナツィア・バッラが来日し、四国に支部修道院設立の話が持ち上がりました。当時、四国は大阪教区長田口芳五郎司教(後枢機卿)が高松教区長を兼任しておられましたが、司教代理の高松市桜町教会主任の田中英吉神父(後に高松司教)が高松に聖パウロの娘たちを呼んでくださったのです。早速、修道院設立の許可を得るため田口司教を訪問し快諾を得ました。

 田中神父の好意によって、高松市天神前の木造瓦ぶき二階建てと平屋からなっている元保育所が修道院として当てられ、1959年2月、院長と姉妹3人の4人による高松修道院が開設されました。
 4月に入って市内の家庭訪問や出張訪問宣教を開始し、書院開設に向けての手続きも始まり、7月には、修道院の一部を改造して書院を開きました。高松教区にはカトリック書院がなかったので、人びとから大きな期待がかけられていましたが、書院としての立地条件はあまりよくありませんでした。

 高松修道院の使徒職の範囲は広範にわたり、四国を越えて、岡山、相生、赤穂、倉敷、玉島、宇野などへ、姫路のヤマトヤシキデパートにも派遣されました。
 高松の修道院から松山にはたびたび出張しており、松山にはカトリックの学校もあり、書院があると便利だ、と話題にしていました。1967年、ドミニコ会管区長から松山に書院開設を依頼され、2月23日教会のそばに書院を開きました。高松から二人のシスターが出張し、不在のときには熱心な信徒の平岡睦美さんの協力を得ることができました。

 高松教区からはSr.森本、Sr.永峰、Sr.吉岡トヨ子、Sr.沢村、また松山からはSr.岡本、Sr.嶋津姉妹、Sr.浅井、Sr村田、Sr.近藤ルミ子などの召命がありました。しかし13年あまり続いた高松修道院も、経済的、人的などの理由で1972年閉鎖となり、その後は1964年に設立された広島支部が受け継いでいます。 (続く)