聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−



使徒的神秘性  第9回

聖パウロ修道会 澤田豊成神父

外に出ていくこと

「すべて神をほめたたえるために行いなさい」(Tコリント 10.31)

使徒 聖パウロ

 これまで数回にわたって述べたように、パウロは自分の中に生きてくださるキリストに突き動かされて福音を宣べ伝えただけでなく、宣教活動の中でキリストとの一致の神秘を深めていきました。これは、教皇フランシスコが強調する「自分の外に出ていくこと」とも結びつきます。

 キリストこそが外に出ていくように駆り立てておられるのであり、このキリストの働きに従う中ではじめて、キリストとの一致が完成されるのです。逆に、外に出て行かないことにより、気づかないうちに、わたしたちの思いはキリストの思いからずれてしまうことがあります。キリストの思いや望みよりも、善いことかどうか、正しいことかどうか、許されていることかどうかを優先するようになります。自分たちの事情を優先してしまうのです。

 パウロは第一コリント書8章で、偶像に供えられた肉を食べることは正しいかどうかを問題にするキリスト者たちに対して、それよりもその行為が、兄弟たち、特に弱い兄弟たちにつまずきになっていることの方が重大であることを指摘します。「キリストはその兄弟のために死んでくださったのです。・・・ですから、食物が兄弟をつまずかせるのなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは今後絶対に肉を食べません」(8.11-13)。

 さらに、第9章では、パウロが使徒としての権利を行使しないから、使徒としての資格を持っていないのではないかと疑う人びとに対して、キリストが宣べ伝えられることに比べれば、使徒の権利を使うかどうかは二次的なことであることを指摘します。「キリストの福音に少しでも妨げにならないようにと、すべてのことを耐え忍んでいます」(9.12)。「わたしはすべてのことを福音のためにしています」(9.23)。これこそ、キリストの思いだからです。