聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−



使徒的神秘性  第11回

聖パウロ修道会 澤田豊成神父

刺(とげ)=宣教の妨げ?

「わたしの体には一つの刺(とげ)が与えられました」(Uコリント12.7)

使徒 聖パウロ

 パウロは、自分に与えられた「刺」について記しています。この刺は、「わたしを打ちのめすために送られたサタンの回し者」(12.7)と言われています。パウロは、この刺を取り除いてくださるようにと、主に三度願います(12.8 参照)。

 この刺が具体的に何を意味しているのかは分かりません。しかし、すぐ後で、「弱さがあっても、虐待されても、災難に遭っても、迫害や行き詰まりに出合っても……」(12.10)と述べられているので、「刺」とは、パウロにとって、宣教活動の妨げとなると感じられた何かなのでしょう(病気、痛み、欠点、災害、迫害、投獄……)。つまり、パウロはこの刺がなければもっと宣教活動を行うことができ、実りも多いだろうに、と考え、これを取り除いてくださるように願ったのでしょう。

しかし、刺は取り除いてもらえませんでした。主からの答えは、「お前はわたしの恵みで十分だ。弱さにおいてこそ、力が余すところなく発揮されるのだ」(12.9)というものでした。福音宣教は主キリストご自身のわざであって、パウロの能力や活動によるものではない、だから、パウロの弱さ、欠点、苦難をとおしても、キリストは同じように、あるいはさらに働かれるのではないか。いや、パウロ以外の人びとをとおしても、キリストは救いのわざを進めておられるではないか。

もともと、このことはパウロの出発点だったはずなのです。しかし、パウロは、熱心に使徒的活動を続けていくあまり、いつの間にかそこから逸脱してしまい、自分がもっと頑張れば、もっと実りが多くなるはすだという、キリスト中心ではない、人間中心の視点(「思い上がり」12.7)に陥ってしまいました。

使徒的活動の中で、パウロはキリストこそが主であることの意味にあらためて気づかされるのです。