聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−



使徒的神秘性  第2回

聖パウロ修道会 澤田豊成神父

パウロが生きたキリストとの神秘的かかわり

聖パウロ

中心にある{神秘性}

 「使徒的神秘性」とは、「神秘性」と「使徒性」を結びつけた表現です。「神秘性」とは、言い換えれば、パウロが理解し、生きたキリストとの神秘的かかわりと言えるでしょう。「使徒的神秘性」とは、このパウロのキリストとのかかわりが「使徒的」なものであるということです。

 パウロは、自分が「使徒」として召され、その務めを果たさなければならないと強く意識していましたが、このパウロの「使徒性」は、自分の意志、望みによるものではなく、キリストのはたらきかけによるものでした。パウロにとっては、使徒であることだけでなく、自分の生き方のすべては、キリストが自分の中に生き、はたらいてくださること、こうして内側から自分を駆り立ててくださることによるものでした。パウロは、自分の中に生きておられるキリストの強いはたらきかけに、なんとかこたえていこうとします。いや、こたえないではいられないと感じていたのです。「使徒性」を含め、すべてはパウロにとってキリストとの内的で神秘的なかかわりに突き動かされたものです。この意味で、すべての中心にあるのはキリストとのかかわりなのです。

「わたしはキリスト・イエスに捕らえられた」(フィリピ3.12)

 パウロは、復活されたイエスとの出会いをとおして、「キリスト・イエスに捕らえられた」と感じました。そして、「生きているのは、もはやわたしではなく、キリストこそわたしのうちに生きておられる」(ガラテヤ2.20)ことを確信しました。このキリストがパウロを内側から駆り立ててやまないのです。だから、パウロは「目指すものをしっかり捕らえようと、ひたすら務め」(フィリピ3.12)、目指している「前のことに全身を傾け」(3.13)て走らないではいられないのです。パウロの使徒的はたらきもその一部と言えます。