聖パウロ女子修道会 協力者会 −ともに福音を宣教するために−



使徒的神秘性  第1回

聖パウロ修道会 澤田豊成神父

「使徒的神秘性」と言われても・・・

小手毬

言葉にとらわれることなく

 「使徒的神秘性を生きる」と言われると、多くの人が、この「使徒的神秘性」という言葉に困惑してしまいます。「いったい、何を意味するのかわからない」と。そこで、いったんこの言葉から離れて、説明をしたいと思います。

 みなさんは、パウロという人物をどのように理解しておられるでしょうか。
「異邦人の使徒」、「熱心な福音宣教者」、「多くの教会を設立した人」・・・。
 一口に「パウロ」と言っても、パウロには多様な側面があり、さまざまな理解のしかた、表現方法があるのです。しかし、わたしたちパウロ家族の創立者、福者アルベリオーネ神父は、パウロのことを「師キリストを全面的に理解し、全面的に生き、さまざまな状況に全面的に適用し、全面的に伝えた人」として理解しました。彼は次のように言っています。

聖パウロを見つめると、聖師を十全的に知っている弟子に出会う。聖パウロは、全面的に師を生きている。その教え、み心、聖性、人性と神性の深い神秘を探り、この方を博士、ホスチア、司祭として見、キリスト全体を、そう、みずから定義なさったとおり、道・真理・いのちであるキリストをわたしたちに示す(AD159)。
使徒的神秘性

 キリストがパウロをとらえ、パウロの中に生きるようになり、パウロが信仰をとおして、このキリストのはたらきかけを受け入れ、ついにはキリストとパウロの間に、内的で全面的で生き生きとした関係が生み出され、だから、パウロは自分の中に生きておられるこのキリストに突き動かされ、使徒として福音を宣教していく、いやキリストご自身がパウロと一体となってご自分を伝えていく。

 「使徒」としてのはたらきの中で成熟していくキリストとの「全面的一致」。
 これを、聖パウロ女子修道会の総会は、創立者のとらえたパウロの「使徒的神秘性」と表現し直したのです。